「信仰の薄い者たちよ」
お元気ですか? 明智信作です。昔、こんな経験をしたことがあります。ある
教会員が、たびたび電話をしてきて、愚痴をこぼしていました。その方の口から
は、いつも不平、不満ばかりがでていました。確かにご苦労されているんだな吾、
と思いつつも、その頃のわたしは、その方の苦しみを十分に受けとめるゆとりが
なく、逆に彼女が不信仰であることを指摘して、かえって彼女の心を余計傷つけ
たことがありました。幸い、その方とはやがて信頼し合う関係に回復いたしまし
た。しかし、その女性とのことがあったあと、わたしが聖書を読んでいたら、イ
エス・キリストが聖書のあちこちで、「信仰の薄い者たちよ」と言っておられる
のに心に留まりました。たとえば、マタイによる福音書6章には、
「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのよう
に装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあ
ろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、
あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。」
とあります。
それまで無意識に読んで、読み流していたこのみことばが心に留まりました。キ
リストは、弟子達や、人々に、「不信仰」と言わず、「信仰の薄い者たち」と言
っておられることに気付きました。さすが、だと思いました。弟子たちにとって、
このキリストのことばは、自分の信仰の弱さを思い出す苦い経験であると同時に、
またそんな自分たちに注がれた、キリストの慈しみとやさしさ、を思い出させる、
心暖まる思い出になったのではないか、と想像するのです。
キリストはまた、同じように、私達の日々の歩みをご覧になりながら、「信仰
の薄い者たちよ、なぜ疑ったのか、どうして思い煩うのか」と仰せになっている
のではないでしょうか。このような、配慮に満ちた言葉を語る事ができたら、私
達の人間関係、そして人生そのものがどんなに豊かになる事でしょう。「いつも、
塩で味付けられた、優しい言葉を使」うようになりたいものですね。
(by 明智信作)