「どこに愛がある」
お元気ですか、明智信作です。ある本の中に、「すべての人たちは、私を愛し
て下さい、と叫んでいます」とありました。本当にその通りだと思います。私た
ちは、例外なく、自分を丸ごと受け入れ、包んで下さり、愛して下さる方を求め
ているのではないでしょうか。しかし、一方では、自分の罪や不正、過去の過ち
を自分自身ゆるせないでいる、そのために、自分を責める、という現実もあるの
ではないでしょうか。私たちは、自分の罪や、過ちを赦してもらわなければ、平
安がありません。しかし罪は裁かれなければなりません。どんなにあなたは愛さ
れています、と言われても、自分が、自分を許せないかぎり、苦しみが続きます。
私たちは、自分の罪を取り除き、かつ、自分自身を愛して下さる方を必要として
います。これこそすべての人が求めている、真実の愛です。そのような愛はどこ
にあるでしょうか。新約聖書ヨハネ第1の手紙4:9、10に、
「私達が神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたち
の罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛が
ある。」
とあり
ます。弟子のヨハネは「ここに愛がある」と、叫んでいます。私たちのすべての
罪を取り除き、私たちを赦し、あらゆる罪から清めるために、神が犠牲を払って
下さいました。この愛が見える形で、私たちの前に表されたのが、十字架でした。
私達が神を愛する前に、神の方がまず私達を愛して下さった、という事は、私
達が神を知る事も、信じる事もしない時に、神は私達を愛してくださった、とい
うことです。この愛は無条件です。一方的な愛です。私達は神に受け入れてもら
うために、何かをする必要はないのです。あなたは既に生まれた時から愛されて
いたのです。あなたは、そのままで、神の宝なのです。あなたは神に望まれて生
かされ、愛されているのです。十字架の上にこそ愛があるのです。
(by 明智信作)