「キリストの平安」

 お元気ですか? 明智信作です。新約聖書ヨハネによる福音書14章から16 章は、キリストが十字架にかかられる前の晩、つまりキリストが弟子達と過ごし た最後の晩に、弟子達に語られたみことばです。死を意識した方が語られる最後 の言葉は格別に大切であります。この時、キリストはご自分が十字架にかかって 死ぬ姿を見る弟子達がどんなに動揺するか、を察して、次のように仰せになりま した。

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。」 (ヨハネ14:1)

「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。 わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒が せるな。またおじけるな。」(14:27)

「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためであ る。」(ヨハネ16:33)

さらに、キリストが復活されたあと、弟子達に現れて、次のように言っておられ ます。

その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子達はユダヤ人をおそれて、自分 達のおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、 「安かれ」と言われた。そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟 子達は主を見て喜んだ。イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしを おつかわしになったように、わたしもあなたがたをつかわす。」(ヨハネ20: 19ー21)

「八日ののち、イエスの弟子達はまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸は みな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って、「安かれ」と言 われた。」(ヨハネ20:26)

この一連のみことばから、キリストが弟子たちにどれほど平安を願っておられた か、が明かです。また、繰り返し平安を語らなければならないほどに、弟子達は 大きな試みに会って、心の平安を見失う危険が会ったし、また、実際、彼らの心 はキリストの死に直面して、心は恐れと絶望に陥ったのでした。それでは、弟子 達に与えると言われたキリストの平安とはどんなものだったのでしょうか。どの ようにして得られるのでしょうか。

 キリストが持っておられた平安とは、あの十字架にかかって恥と屈辱のうちに、 神のさばきを受けて死のうとしている直前にもっておられた平安でした。人間が 普通なら不安や恐れをいだくような状況、心を騒がせるような条件の中でさえ、 心乱されることのない平安でした。キリストの平安は、環境や自分の立場が平穏 であるなど、外側の状況に左右されないものでした。むしろ、状況がキリストに とって苦難に満ちていても、心の中に持つ平安でした。このキリストの平安の源 はどこにあったでしょうか。それはキリストが神を良く知っておられたこと、そ してその当然の結果として、この神に信頼しておられたことと深いかかわりがあ ります。このことについて、さらに次回考察したいと思います。
                             (by 明智信作)