「キリストの平安」その2
お元気ですか? 明智信作です。キリストには、十字架にかかって恥と屈辱の
打ちに、死のうとしている直前にさえ、乱されることのない平安があった事を、
先回お話ししました。その秘密は、キリストが、神を本当によく知っておられ、
それゆえに、神に心から信頼しておられた事と関係があると指摘しました。ヨハ
ネによる福音書16:32には、
「見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだ
け残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、私は一人でいるので
はない。父が私と一緒におられるのである。」
と言われたキリストの言葉が記されています。人にへつらって、一人でも多く、
人の心を自分に引きつけようとしていたら、すべての弟子達に裏切られて一人残
されようとしていたこの時、キリストの平安は奪い去られていたでしょう。しか
し、キリストはひとりぼっちではない、という確信がありました。自分を愛して
くださる父なる神が共におられるという確信があったからでした。キリストの平
安は、父なる神が自分とともにおられる、という臨在意識から来るものであった
ことがわかります。さらに、この臨在意識について語ったキリストのもう一つの
ことばは、大事なことを指摘しておられます。
「わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒におられる。わたしはいつも神の
みこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置き去りになさることは
ない。」(ヨハネ8:29)
キリストは、いつも父なる神を信じ、そのみことばに信頼して従いました。信
仰の従順が、キリストの生涯の特徴でした。そのように生きていたキリストには、
だれにも、また何ものにも妨げられない平安が宿っていたのでした。
キリストは、私たちに、ご自身の平安を与えると約束されました。キリストは、
神を信じ、私を信じなさい、と言われます。わたしたちが、神を信じ、キリスト
を信じて、そのみことばに喜んで従うとき、全き平安をいただくことができるの
です。この信仰の従順について、次回もう少し具体的に考えてみたいと思います。
(by 明智信作)