「神に選ばれているゆえに」
お元気ですか? 明智信作です。新約コロサイ人への手紙3:12、13に、
「だから、あなたがたは、神に選ばれたもの、聖なる、愛されている者であるか
ら、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍びあい、もし互いに責
むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるしてくださった
のだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」
とあります。このみことばによれば、私達は、慈愛も、謙遜も、柔和も、寛容も、
赦し合う心もないときに、神のあわれみと恵みによって、弟子に選ばれ、神に属
する者とされ、一方的に神に愛されているのです。よくクリスチャンらしくなっ
てから、洗礼を受けようと考える方がいます。これは大きな勘違いです。キリス
トの愛と出会い、信仰によってキリストを心に迎えて、初めてキリストに似る者
となる成長が始まるのです。私達は、神の一方的な愛とあわれみによって、罪を
ゆるされ、神の子となるように導かれるのです。しかし神は、キリストを信じた
者が、信じる前と全く変わらないことを望まれません。いえ、キリストの愛を本
当に信じた者は、もはや信じない時と、同じではありえないのです。信仰によっ
て、キリストの命にあずかるからです。
神は、私達に、キリストのような慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけさせよう
としておられます。その秘訣として、この聖書のみことばが示唆していることは、
私達が、神に選ばれた、という事がどんなにすばらしいことであるか、を深く味
わう事です。また神によって全ての罪をゆるされ、聖なる者とされている事をし
っかりと思い起こす事です。さらに、神からどんなに大きな愛をいただいている
か、を味わう事です。今、神に選ばれて、キリストを信じる者とならせていただ
いていると言う事を、ぜひ時間をかけて味わってみてください。また、このマガ
ジンを通じて、聖書のメッセージに触れておられる方は、どなたも、神の導きの
中にあることを是非覚えていただきたいと思います。
わたしは、バプテスマ(洗礼)を受けてから26年になりますが、キリストを
信じたことを後悔した事は一度もありませんでした。キリストを知らなかったら、
どんな人生を送っていたかわかりませんが、はっきりと確信できることは、今以
上の人生はない、ということです。命よりも大切なものを知ったこと、私の事を
絶対無条件で愛してくださる神を知った事は、他のどんなものにも換えることは
できません。さらに、牧師として働かせていただいていること、これも、ひとえ
に神のあわれみによるのだ、と痛感しています。もったいないことです。神の大
きな愛と赦しをいただいてこそ、続ける事ができる働きです。キリストの十字架
のおかげで、全ての罪を赦された、という事は、わたしにとって、毎朝、新鮮な
心でスタートできる根拠になっています。このすばらしい恵みを忘れないために、
私は、朝起きると、まず聖歌472番
「人生の海のあらしに、
もまれきしこの身も、
不思議なる神の手により、
命拾いしぬ。
いと静けき港に着き、
われは今安ろう。
救い主イエスの手にある身はいとも安し」
と歌っています。これは私が、SDA京都教会に初めて行った日に、聞いた歌だ
からです。キリストは、あなたをも愛し、あなたのために、ご自身を捧げてくだ
さったのです。
(by 明智信作)