「不信と自我を捨てて、神に聞け」

 お元気ですか? 明智信作です。今朝は、自然を通して神が語りかけるメッセ ージを聞くのに、不信と自我が妨げになる、ということを指摘したいと思います。

神を信じないで眺める自然と、神がこの自然をお造りになったのだと信じて眺め るのでは、大きな違いがあります。自然の美しさは、だれもが認めますが、神を 知り、神を信じるようになって、私自身味わいかたが変わったと思います。確か に不信は妨げになります。自我もまた妨げになります。自然に近づき、ただ静か に、無心に花を眺め、鳥の声や、水の流れに耳を傾けてこそ、神の声を聞くこと ができる、というのです。星野富弘さんの詩に感動するのは、彼が、自然を通し て、神が語りかけるメッセージをしっかりと受けとめて、それを私たちに教えて くれているからではないでしょうか。こんな詩があります。

「両手に握っているものを
 はなさないで
 なぜ 新しいものを つかもうとするのか
 もみじだって あんなきれいな 葉っぱを
 手ばなしているというのに」

神様は、もみじの葉をとおして、貪欲を捨てるように、優しく諭しておられる、 というのです。言われてみると、その通りですね。

「木は自分で 動きまわることができない
 神様に与えられたその場所で精一杯 枝を張り
 許された高さまで 一生懸命 伸びようとしている
 そんな木を 私は友達のように思っている」

首の骨を折って、首から下が麻痺して動けない星野さんが、木の姿をこのように とらえたことに感動を覚えます。木の生えているところを、「神様に与えられた その場所で」と言っています。さらに、木が「精一杯枝を貼り、許された高さま で 一生懸命 伸びようとしている」という表現から、木のひたむきな生き方が せまってきます。愚痴や不満や不平に陥り安い、私たちに対して、木は、無言の 内に、神に与えられた場所で、神に許された高さまで、一生懸命成長しましょう、 と励ましてくれている、というのです。自分に与えられた場所で、ベストをつく したいものです。
(by 明智信作)