「神の一方的な愛」

 お元気ですか? 明智信作です。イスラエルの王ダビデが、自分を憎み、殺そ うとしたサウル王の孫、メピボセテを宮殿に招き、王の子と同様に扱う恵みを施 した事に基づいて、恵みについて考えてきました。このメピボセテと同様に、私 たちも、命の神から、同様の、いやそれ以上にはるかにすばらしい救いの恵みを いただいています。神によって生かされていながら、神を認めず、感謝もせず、 自分勝手に生きていた私たちを、神の方から愛して下さって、ひとり子イエス・ キリストを賜り、この御子の十字架の犠牲によって、全人類の罪をさばいてくだ さいました。

「神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせ ることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである」(コリン ト第2、5:19)

とあります。

「わたしはあなたをゆるしている。私が、あなたの罪の責任を引き受けた。わた しはあなたを断罪しない。だから帰ってきなさい」

と招いておられます。感謝ですね。私たちに対する神の取扱いについて、詩篇1 03篇につぎのように記されています。

「主はわれらの罪にしたがってわれらをあしらわず、
 われらの不義にしたがって報いられない。
 天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜るいつくしみは大きい。
 東が西から遠いように、主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。」
(10ー12節)

 メピボセテのように、わたしたちも、神に対して何一つ恩返しできないかもし れません。しかし、このすばらしい恵みをいただいていることを喜ぶ事は出来ま す。感謝する事はできます。これほどまでしてくださった神を賛美する事はでき るのではないでしょうか。詩篇のあちこちで歌われている事は、主をほめよ、ハ レルヤということです。先ほどの詩篇103:1、2には、

「わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名 をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。」

とあります。また詩篇107:1には、

「『主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶えることがな い』と 主にあがなわれた者は言え。」

とあります。メピボセテは、きっと毎日、ダビデ王の食卓につくたびに、身にあ まる取扱いに感謝したのではないでしょうか。私たちも、今、驚くべき恵みの中 に生かされ、神の子として受け入れて頂いています。

 そうして頂くにふさわしい事を、わたしたちがしたからではありません。まだ、 弱かった頃、不信心であったとき、敵対していたときに、神の方が一方的に愛し て、私たち一人一人の罪のあがないをあの十字架の上で成し遂げて下さったので す。この神に感謝しましょう。

(by 明智信作)