「放蕩息子の話:その1」

 お元気ですか? 明智信作です。今朝は、聖書の有名な放蕩息子のたとえ話を ご紹介します。このお話しにでてくる父は私たちの命の創造者である神、息子は 神によって生かされていながら神を認めず、神から離れて自分勝手に生きている 人間を表しています。

 ある金持ちの農家の父親にふたりの息子がいました。弟は、田舎の単純な生活 に満足できず、都会にあこがれます。父親と共に暮らすことがわずらわしく感じ ていました。弟息子には、父の愛がわかっていませんでした。父と共にいるより も、父から離れて、自由気ままに暮らしたい、と考えるのです。そこに本当の喜 び、生き甲斐があると考えるのです。

 そして、ある日、父のもとに来て、「父よ、あなたの財産のうちでわたしがい ただく分を下さい」と要求します。本来なら、父が死んだとき、譲り受ける遺産 の相続分を前もって要求したのです。これは、父親に「あんたは死ねばいい!」 と言ったも同然でした。この話しを聞いた人たちは息子の態度を言語道断と受け とめたにちがいありません。彼らにとって、そのような侮辱を受けたり、そんな 息子の要求に同意するような家長としての父親の態度は想像できないことでした。

 しかし、父は、その身代をふたりにわけてやりました。息子の意志を尊重する のです。この息子は、「それから幾日もたたない内に、自分のものを全部とりま とめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身をもちくずして財産を使い果たし」ます。 酒に溺れ、賭事に夢中になり、また女遊びにふける毎日を繰り返したのです。や がて、財産が底を尽きます。「何もかも浪費してしまったのち、その地方にひど い飢饉があったので、」彼は食べる事にも事欠くようになってしまいます。

 この話は、聖書の教える罪とは、人間が命の神を認めず、感謝もしないで、自 分勝手に生きることであることを教えています。それだけでなく、このような生 き方は、造り主なる神をひどく悲しませる事であり、人間が人間らしく生きるこ とを捨ててしまった浪費の人生であることを教えているのです。

(by 明智信作)