「放蕩息子の話:その5」
お元気ですか? 明智信作です。キリストがお語りになった放蕩息子の話しの
後半には、放蕩息子の兄の話しが出てきます。兄は、父のもとで、まじめに働い
ていました。しかし、彼は、放蕩生活のはてに帰ってきた弟を歓迎し、祝宴を開
く父の姿に怒りを表します。
「わたしは何ヶ年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたこと
はなかったのに、友達と楽しむために子山羊一匹もくださったことはありません。
それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなた
の子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました。」 不公平
ではないですか!!これが、兄の言い分でした。
そして、これはもっともな不満です。この世は、兄の考え方でなりたっていま
す。兄のように行動するのが、常識となっています。兄が弟をゆるさなかったよ
うに、この世では、弟のように生きて、戻ってきたとき、だれも弟を歓迎しない
のです。自業自得だ、と冷たく拒絶するのです。
あるいは、彼が、本当に悔い改めたというなら、その証拠をみせなさい、それ
を見て確認するまで、受け入れることはできない、これが、普通の人の態度です。
社会はこの精神で満ちています。しかし、神の態度は違うのです。神の恵みによ
る取扱いは、常識を超えているのです。恵みは本質的に不公平にみえるものです。
しかし、実は、この不公平にさえ思える神の恵みがなければ、私たちに救いは
ありません。希望もありません。私たちは、救いに価することは何一つできてい
ないのです。それにもかかわらず、神に一方的に愛され、神が私の罪の代価であ
る命をあの十字架で支払って下さいました。このおかげで、今赦され、生かされ
ています。恵みによらなければ、救いがないのです。
あの兄のように、父と共に生きながら、父の子であることを喜ばず、父と共に
生きることを楽しんでいないとすれば、本当に悲しい事です。自分のしている事
を基準に、人と比較してさばく生活は、神をも悲しませる生き方なのです。
兄は、父のそばにいたけれど、弟と同じように、心は放蕩生活をしていたので
す。ただがまんしていただけでした。だから、したいことをして帰ってきた弟を、
父が歓迎するのを見て、自分が損をしたように感じ、父の不公平とも思える扱い
に腹を立てたのです。あの兄の姿こそ、当時のパリサイ人や律法学者の精神でし
た。
そして、今も、おなじ精神が教会の中にも常に存在する危険性があるのです。
私たちは、神と共に生きている子とを、本心からよろこんでいるでしょうか。こ
の救いの喜びにはいらせていただいたのは、ひとえに恵みによるのです。受ける
に価しない私たちに、神が与えて下さった恵みです。そのことをしっかりと心に
留めていたいと思います。
私たち自身がこの恵みを深く味わい、悟らせていただくことが、どれほど今求
められている事でしょう。兄が弟を受け入れなかったように、わたしたちが、他
の人が救いの恵みにあずかることを妨げることが、決してないように、導いて頂
きましょう。
(by 明智信作)