パリサイ人2

 お元気ですか? 明智信作です。律法学者やパリサイ人たちが姦淫の現場で捕 まえられた女をひっぱってきて、人々とイエスの前に立たせ、イエスに訴えたヨ ハネによる福音書8章の話しを先回から取り上げています。

 当時の慣習に従い、女は恥ずべき行為のしるしに着物を腰まで脱がされていま した。恐怖におののき、自らを守るすべもなく、公衆の面前で屈辱を受けていま した。彼女はむきだしの胸を腕でおおい、イエス様のまえでちぢこまっていまし た。この女は人々の前で、自分の罪を暴露され、人々の好奇の目、軽蔑の視線に さらされたとき、どんな気持ちだったでしょう。

 人を殺す視線があります。人を深く傷つける視線があります。彼女は、このよ うな視線にさらされ、傷つき、恥ずかしさと恐れで震えていました。「この女を どう思いますか?」とパリサイ人たちがイエスにつめよった時、彼女は、死刑の 執行を待つ囚人のようにふるえて、イエスの答を待ったのです。

 彼女は、確かに恥ずべき罪を犯しました。それは、紛れもない事実でした。そ れは、さばかれるべき罪でした。罪の値は死なのです。「いいんだ、いいんだ。 人間は弱いんだから」と言って、安易に人間が赦しを語ることはできないもので す。しかし、だからといって、それでは、この女の罪を誰が裁くことができるで しょうか。

 さて、その場にいた人々はどうしたでしょうか。目の前に姦淫の現場でつかまっ た女がいるのです。彼らは、好奇と軽蔑の目でこの女を見つめました。訴えの言 葉に影響され、事実を自ら確かめたわけではありませんが、同じ裁きの目で見て います。しかも、この群衆の中のひとりひとりも、同じように、罪を犯している のです。

 女は、訴えられたことについて、弁解できませんでした。好奇の視線にさらさ れ、軽蔑の目で見られましたが、それに反発する事もできません。彼女は、自分 の罪を深く嫌悪していました。そして、恐れおののきつつ、刑の執行を待ったの です。神殿の中には、女を訴えるパリサイ人とその訴えに影響されて、同じよう に女を裁きの目で見る人々と、訴えられている女の3種類の人がいました。

 あなたはどこにいるでしょうか? 私は、自分がどんなにたびたびパリサイ人 であったか、を認めざるを得ません。自ら罪を犯しながら、人の罪を責めたり、 批判したりする事がどれほど多かったことでしょう。私はまた、自分が群衆のひ とりでもありました。真実を確かめもせず、一方の話だけを聞いて、判断を下し、 一緒になって裁いてしまうのです。神は、こんな私をも愛し、この罪のためにも、 十字架にかかってくださったのです。感謝ですね。

(by 明智信作)