「二つのタイプの罪人」
お元気ですか? 明智信作です。ヨハネ8章1節から11節までの学びを今日
で終わりたいと思います。この事件の中に、3種類の人たちが出てきます。自ら
も罪を犯していながら、人の罪を暴露して裁く律法学者やパリサイ人たちと、彼
らの訴えに影響され、同じように裁きと軽蔑の目で、女をながめた群衆と、自分
の罪の故に人々の前に辱めを受け、ただ裁きを待って震えている女です。
私たちは、パリサイ人のように、自分自身罪を犯していながら、人の罪を訴え、
さばくことはないでしょうか。批判や悪口や中傷によって、人に石を投げて傷つ
けていることはないでしょうか。また、群衆と同じように、人の批判を耳にした
とき、一方の話しだけを聞いて、真実を確かめもせず、一緒になって第三者を批
判してしまうことがないでしょうか。こうして、わたしたちも、あのパリサイ人
たちや群衆と同じ罪を犯してしまうのです。また、この女のように、自分の罪を
指摘され、その罪の故に恥じいって裁きを受けることもあるのではないでしょう
か。
人間は結局二つのタイプに分かれるのです。多くの人が考えるような罪人と「
義人」ではなく、二つの違ったタイプの罪人にであります。すなわち、自分の罪
を認める罪人と、認めない罪人です。私たちも、例外なく罪人であります。罪を
犯し、裁かれても仕方のない者です。
しかし、あの女と同様に、それを認め、さばかれて当然の者として、へりくだ
り、心から罪を悔い改め、赦された感謝と喜びをもって、主のために生きること
ができる人は幸いです。それとも、自分の罪を認めることなく、悔い改めること
もせず、ただ黙ってキリストの元を去っていくでしょうか。
私たちもいろいろな人間関係の中で、互いに石を投げあったことがあるのでは
ないでしょうか。傷つけたり、傷つけられたりしたことがあるのではないでしょ
うか? 私たちは一人の例外もなく、キリストの愛によるいやしを必要としてい
ます。キリストが女に語られたと同じ言葉を、キリストは、私たちにも語ってく
ださるのです。「わたしもあなたを罰しない、お帰りなさい、今後はもう罪をお
かさないように」
わたしも、やりなおしたいと思います。キリストはそのチャンスを与えてくだ
さる方です。パリサイ人も、群衆も皆、キリストに愛されています。そして、い
やしを求めてキリストに祈る時、キリストは赦し、いやし、「私もあなたを罰し
ない、今後はもう罪を犯さないように」と優しく、愛の権威をもって宣言してく
ださるのです。
自分自身と自分のまわりの人たちのために祈りましょう。
(by 明智信作)