「すべてのことを感謝せよ2」
お元気ですか? 明智信作です。
新約聖書ローマ人への手紙8:28で、パウロは、
「神は、神を愛する者達、すなわち、ご計画に従って召された者達と共に働いて、
万事を益となるようにしてくださることを、私たちは知っている。」
と記しています。ここに、パウロは「知っている」と言っています。彼は、自分
の人生を振り返って、神が、自分を愛し、自分のために、ご計画をもっておられ、
万事、例外なく、すべてのことがえきとなるようにしてくださる、ということを
知っていたのです。
彼の生涯において、まず、第一に、思い起こすことは、パウロの回心のきっか
けになった、ステパノの殉教の経験であります。ステパノが、イエスこそキリス
トである、と説教した時、「人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステ
パノに向かって、歯ぎしりをし」ました(使徒7:34)。そして、「人々は大声で
叫びながら、耳をおおい、ステパノをめがけて、いっせいに殺到し、彼を市外に
引き出して、右で打」ちました。そして、ついには、殉教の死をとげたのであり
ます。
ステパノにとって、これは、痛ましい出来事でした。しかし、ステパノが、こ
の殉教の直前に示した態度には、不平も、不満も、まったく見られませんでした。
主よ、わたしはあなたのために献身し、あなたのことを宣べつたえたのに、どう
してこんな目にあわなければならないのですか、とは一言もいいませんでした。
このように叫んでいたら、事情は随分変わっていたのではないでしょうか。しか
し、ステパノはそんな態度をとりませんでした。ステパノは、このような殉教の
死を目前にしたときに、彼の目は、周囲の困難な状況にではなく、「天を見つめ
て」います(使徒7:55)。
彼は、その後、敵が激しい怒りにまかせて、石を投げつけている間、ステパノ
は祈り続けて言いました「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」そして、最
後はひざまずいて、大声で叫びました、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせ
ないで下さい。」こう言って、彼は、眠りにつきました(使徒7:59−60)。
ステパノの殉教は、初代教会にとって、大きな痛手でした。神は、どうしてこ
んなことを許されたのか、とつぶやくこともできました。しかし、幸い、聖書に
は、そのような神への不平、不満は、記録されていません。むしろ、わたしたち
は、ステパノ自身も知ることができなかった、神の遠大なご計画が、自分の殉教
の出来事を適して成し遂げられつつあったのでした。
それが、サウロのちのパウロの回心でありました。ステパノの死が、サウロに
大きな感動を与えました。そして、後に、復活のイエスご自身があらわれて、サ
ウロをされたときに、サウロが直ちに応答するのを助ける伏線となったのです。
ステパノ自身はわからなくても、神には、ご計画があったのです。そして、ステ
パノは、少なくとも、自分の置かれた状況に、完全に神がかかわりをもっておら
れたということを信じていた思われます。だからこそ、ステパノはつぶやくこと
なく、ただ天を見つめたのではないでしょうか。その時、神の栄光を見せられ、
すばらしい証をたてることができたのです。
(by 明智信作)