「わたしを愛して下さい」
お元気ですか? 明智信作です。
ある本の中に、「すべての人たちは、わたしを愛して下さい、と叫んでいます」
とありました。本当にその通りだと思います。私たちは、例外なく、自分を丸ご
と受け入れ、愛してくれる人を求めているのではないでしょうか。
自分には、罪もあるし、弱さも持っている、性格にもいろいろと弱点を持って
いる、およそ完全とはほど遠い、そんな自分であるけれど、そのすべてを承知の
うえで、それでも、わたしはあなたを愛している、私の愛はかわらない、と言っ
て下さる存在を求めているのではないでしょうか。
しかし、一方では、自分の罪や不正、過去の過ちなどを自分自身、ゆるせない
でいる、そのために、自分を責める、という現実もあるのではないでしょうか。
罪はさばかれなければならない、と自分でもわかっているからです。罪をただ大
目に見て貰っても、そこには、本当の意味で魂の平安はありません。良心の呵責
は取り除けないからです。
そして、良心の呵責がある限り、平安がなく、苦しみが続くのであります。私
たちには、自分の罪の問題を完全に解決してくれ、なおかつ、自分の存在を丸ご
と愛して下さるお方を必要としているのではないでしょうか。このようなお方を
すべての人が必要としているのではないでしょうか。
罪の問題を解決し、罪ある人間をそのまま愛して下さる、そんな愛がどこにあ
るでしょうか。新約聖書の中に、こんなみことばがあります。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わた
したちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここ
に愛がある。
「ここに愛がある」と、キリストの弟子であるヨハネは叫んでいます。わたし
たちのすべての罪を取り除き、私たちを赦し、あらゆる罪から清めるために、神
ご自身が犠牲を払って下さいました。この愛は、私たちが求めたから与えられた
のではありません。求めない先に、神の方から一方的にあふれて出た愛でありま
す。それが見える形で示されたのが十字架でした。
(by 明智信作)