「神の愛と人の罪」

 お元気ですか? 明智信作です。

 新約聖書に「神は愛である」という有名な言葉が記されています。天地万物を 創造し、私たちひとりひとりをもかけがえのない存在として造り、生かして下さ っている神は、その本質が愛である、愛そのものである、というのです。

 聖書の中に、この愛の神と罪深い人間の姿が、対照的に描かれているところが あります。キリストが十字架にかけられた場面です。新約聖書ルカによる福音書 23:34に、

 そのとき(つまり十字架につけられたとき)、イエスは言われた、「父よ、彼 らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」人々は、 イエスの着物をくじ引きで分け合った。

 一方には、十字架につけられながら、自分を十字架にかけた人たちをゆるし、 彼らのために祈っているイエスがいます。そして、他方には、その十字架の下で、 イエスの着物をくじ引きして分け合う人々がいるのです。

 人の痛みを全く感じないで、ただ自分の利益ばかりを追求している人間と、そ のような人間を愛し、ゆるし、とりなし、命までささげようとしておられるイエ スとは、なんと対照的でしょうか。

 イエスが、自分の罪の為にどれほど大きな犠牲を払ってくださったか、その苦 しみ、悲しみ、痛みを何も感じないで、自分の利益だけを追求したり、自分の身 の安全をはかったり、あるいは自分のメンツをたてようとする、ーーこの自己中 心にこそ、罪人の姿がはっきりと示されています。

 しかし、イエスは、兵士たちをはじめ、ご自分を十字架につけようとする人た ちのことを、

「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」

と祈られました。敵対する者をさえゆるしておられるのです。

 わたしたちも、あの十字架の下で、イエスの着物をくじ引きした人々のような、 自己中心、無関心がないでしょうか。人間の中には、どうしようもないほどに、 深い自己中心の罪があるのではないでしょうか。しかし、そんな私たちを愛して くださる神がおられる、と聖書は教えているのです。
                             (by 明智信作)