お元気ですか? 明智信作です。
前回の続きとして、イエス様の時代にらい病人がどんな問題をかかえていたか、 についてお話ししたいと思います。肉体の病気が絶望的だったことに加えて、
第2に、らい病人の心は寂しく、愛に飢えていました。らい病人であると宣告 されたら、感染を避けるために彼は家族から隔離されました。愛する妻、愛しい 子供からも離れて、同じ病気にかかっている者とだけ交わることしかゆるされま せんでした。愛する者と別れて暮らす、それは身を裂かれるほどにつらく、寂し いことであります。治らない限り、生涯、一緒に暮らすことはできないのです。
イエス様のもとに来たらい病人も、この孤独を味わっていました。彼の心は愛 に飢えて死にかけていたのです。彼は、精神的にも孤独からいやされる必要があ ったのです。
第3に、らい病人は、社会的にも孤立し、差別の目にさらされていました。た まに町に出ることがあると、自分のことを「けがれた者、けがれた者」と叫びな がら、歩かねばなりませんでした。その悲しげな声を聞くと、人々は恐怖感をい だき、さっと身を引いて彼らから遠ざかり、遠くから気味悪そうにながめるので した。
事実はそうではなかってのですが、当時の人たちは、彼らのはく息でさえ汚れ ており、その息がかかるだけで自分たちもけがれる、と考えられていたからです。
自分が近づくと皆が遠ざかる。らい病人を見つめる人々の視線を想像してみて ください。イエス様のもとに来たらい病人も、長い間、社会的に差別され、孤 立していました。人と普通にことばをかわし、交わることができずにいたので す。
人の視線は、喜びと励ましとなることもあれば、時には恐怖になることもあり ます。昔、大学受験に失敗したとき、世間の目がこわくて、一か月間、家に閉じ 込もったことがあります。世間に顔向けができない、と感じ、馬鹿にされると思 いこみ、その視線を恐れたからです。
殺人などの犯罪で新聞やテレビで報道された人、あるいはその家族は将来どん
なふうに生きていくのだろう、と考えることがあります。幼児連続殺人事件の犯
人の父親は自殺をし、家族は家をひきはらい、どこかに姿を消しています。そう
せざるを得ないほど、社会の目はきびしかったのでしょう。イエス様のもとに来
たらい病人も、世間の冷たい視線にさらされて生きていたのでした。
(by 明智信作)