「人間の全的回復5」
お元気ですか? 明智信作です。
前回、イエス様が、みもとに来たらい病人をいやすので、ことば一つでもいや
すことがおできになったにもかかわらず、わざわざ、手を伸ばしてさわられた、
と言うことをお話ししました。なぜ、わざわざ、彼にさわられたのでしょうか。
このらい病人は、発病以来、奥さんの手にも触れられたことがありませんでし
た。子どももさわろうとしませんでした。きっと彼自身、子どもに病気が感染す
ることを恐れて、さわらせなかったでしょう。こういうわけですから、彼は、人
の手のぬくもりを久しく味わったことがありませんでした。
しかし、今、彼の体にさわる暖かい手のぬくもりを膚に感じることができたの
です。どんなにうれしかったでしょうか。彼は主によって体がきよめられ、心も
いやされ、さらに魂の救いを得たのです。
キリストはこのらい病人の心の思いを深く察することができました。そして手
を伸ばさずにいられないほど、深いあわれみに心を動かされたのです。らい病
人の心のそこから出る必要を満たすにはことば以上のものが必要でした。
暖かい同情に満ちたまなざしと、やさしい、暖かい手が必要でした。主はこれ
らすべてを用いて、らい病人を愛されました。主はらい病人に手を伸ばして、
彼にさわられました。それは、発病以来、だれからもさわられたことのない、
彼にとってイエス様は、わたしのさびしさ、愛に飢え乾いている自分をわかっ
てくださっている、ということを直感する経験でした。
そして、その手のぬくもりを通じて自分は愛されている、ひとりぼっちではな
い。自分を分かって下さる方がいる、ということを身をもって知る経験でした。
キリストがそれほどにこのらい病人に対してあわれみ深かったのには、十分な
理由があります。キリストは、このらい病人と同じように、愛する者から捨てら
れました。らい病人の場合、病気のゆえにしかたなく、家を離れたのですが、キ
リストの場合は、愛した弟子達から捨てられたのです。
さらに、群衆から憎まれ、「十字架につけよ」という怒号の中で、十字架にお
かかりになったのでした。らい病人は、家を出てから、枕するところのない生活
でしたが、キリストも、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の
子には枕するところがない」という生活をされた方だからでした。
(by 明智信作)