「身代わりの祈り」
お元気ですか? 明智信作です。
前回、パレスチナの北に住む、カナンの女が、自分の娘のことで、イエスに助
けを求めて、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんで下さい。娘が悪霊にとり
つかれて苦しんでいます」と叫び続けた、というお話をしました。
この女性には、娘がこのようになった原因が、自分にあったと感じていたかも
知れません。自分のためにこんな苦しい思いをさせてしまった、と感じていたの
かも知れません。
たといそうでなくても、親として、娘の苦しむ姿を見ることは、苦しい事でし
た。だから、「娘をあわれんでください」とは言わずに、「わたしをあわれんで
ください」と叫んでいるのです。
この女の叫びは、祈りそのもの、魂の叫びそのものと受けとめることができる
のではないでしょうか。この女は、娘のために、イエスに向かって、とりなしの
祈りをしているのです。
この女はカナンの女でした。当時、カナン人とユダヤ人は、お互いに憎み合っ
ていました。しかし、イエスは、彼女がカナン人であり、また宗教が異なってい
たにもかかわらず、彼女の叫びと訴えに答えて、娘をいやしておられます。
これは、当時のユダヤ人の価値観からすれば、考えられないことでした。イエ
スのみわざを見る時、イエスの宗教は、年齢、地位、国籍や、宗教上の区別さえ
問題にしないこと、またイエスの目には、だれでも皆、すべて等しく尊い存在で
あることがわかります。
そして、だれでも、必要を感じて、イエスに助けを求めるなら、背景がどうで
あれ、イエスはその祈りに耳を傾けて下さるお方であることを知ることができる
のであります。とりわけ、「身代わりの祈り」には力があります。「身代わりの
祈り」とは、祈る人の立場になり、その人の悩み苦しみを自分のものとして祈る
祈りです。
娘の病気のことで、「わたしをあわれんでください」と真剣に、切実に、叫ん
だカナンの女のように祈る祈りは、力ある祈りであります。わたしも、このよう
な愛と祈りの人になりたいと思います。
(by 明智信作)