「力あるとりなしの祈りの3要素」
お元気ですか? 明智信作です。
イエスの身元にやってきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんで下さい。
娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と叫び続けたカナンの女について、今
回も学んでみたいと思います。聖書には、「叫び続けた」と記されています。こ
の言葉の中に、聞いてくれるまでは、決してやめない、そんな熱意が感じられま
す。娘を愛すればこそ、聞かれないままでは、決してひきさがらない、ひきさが
れない、という気持ちが伝わってくるのであります。
この愛こそ、力あるとりなしの祈りの第1の要素です。ところが、この女の叫
びに対するイエスの反応について、聖書には、「しかし、イエスは一言もお答に
ならなかった」とあります。彼女の訴えはすぐには答えられませんでした。祈っ
ても祈っても、なんの変化もおこらない、すこしも聞かれている様子がみられな
いということはないでしょうか。
本当にこの女も、イエスに向かって、叫び続けたのに、イエスは一言もお答に
ならなかった、というのです。イエスは、その後も、2度に渡って、一見、拒ん
でいるような態度を示しておられます。それでも、この女はあきらめませんでし
た。彼女を、ここまで熱心に叫び続けさせた第2の要素は、何だったのでしょう
か。
それは、自分自身の無力感でした。女は、娘をなんとかして助けて上げたいと
思いましたが、自分には、自分にはどうすることもできない、という無力感があっ
たのであります。人のために祈るとりなしの祈りを力あるものとする第2の要素
は、祈る側の無力感です。自分ではどうすることもできない、と深く自覚したも
のは、おすがりするしかないのです。だから聞かれるまではひきさがれないので
す。
そして第3の要素は、イエスに対する信仰です。イエスにはそれができる、と
いう信頼が、忍耐強いとりなしを可能にするのです。この女にとっては、イエス
がただ一つの希望だったのです。この愛と無力感とイエスに対する信仰こそ、力
あるとりなしの祈りに欠かせない大切な3要素であります。
わたしたちは、人のために祈るとき、人の苦しみを自分のことのように、祈る
ことがあるでしょうか。このような愛を祈り求めたいものです。この人を助けて
上げたい、という愛と同時に、この人を助ける力は私にはない、でもイエスには
ある、という自分の無力感と、イエスに対する信頼が、力あるとりなしの祈りに
不可欠であることを、是非覚えて、わたしたちも、力あるとりなしの祈り手にさ
せていただきたいものです。
(by 明智信作)