「瀬戸の町を方ねて」

 数年前、潮戸物で有名な瀬戸の町を訪れたことがあります。さすが陶山器の町 として知られているだけあって、どこを歩いていても陶器を売る店が目につき、 町を流れる川は、陶土で黄色く濁っていました。

 私はこの機会にぜひ陶器を作っているところを見学したいと思い、知人の案内 で、ある陶芸家を訪ねました。そこには二つのろくろ台が据えてありましたが、 陶工の前に置いてあった粘土の淘まりは、彼らの手にかかるとみるみるうちに美 しい器に変わってゆくのです.それは私の目には魔法のようにさえ映りました。

 最後に私もろくろを回して、教えられるままに器を作つてみましたが、なかな か上手にいきません.丸い器ができかけたと思っても、ちょつとした指の動かし 方でたちまちいびつになったり、下手をすると形にもならないでつぶれてしまう ことさえあります。結局、そこの陶芸家に助けてもらつて、ようやくひとつの器 を作り上げることができました。

 旧約の預言者イザヤは神に呼びかけて「されど主よ、あなたはわれわれの父で す。われわれは粘土であってあなたは陶器師です。われわれはみな、み手のわざ です」(イザヤ書六四の八)と言いましたが、私は瀬戸の仕事場でこの言葉の意 味をかみしめて味わいました。

 私達は神のみ手にある粘土なのです。私連が神にすべてをゆだねる時、私達の 品位は神の作品として実しく輝きます。

 しかし、神を忘れて何かをしようとする時、私達はいびつな器か、壊れた器の ような存在にしかなり得ないことを憶えたいと思います。
                             (by 鴨田増一)