「余情」

 今から随分前のことになりますが、カナダを訪れたときのことです。十日間、 カナタ在住の先輩にさんざんお世話になってから、ナイヤガラの滝で彼と別れる ことになりました。そのとき彼は私の手を固く握って「もしこれからの旅先でお 金に困るようなことがあったら、いつでもしらせてください。すぐ送りましょう。 安心して楽しい旅行をしてください」と、言ってくれました。

 幸いお金を借りる必要もなく帰国することができましたが、この別れぎわの優 しい言葉がどれだけ旅人の心をちからづけたかわかりません。先輩のあの時のほ ほえみと共に、このことは今でもほのぼのとした思い出となって、私の心に温か い風を送り続けています。

 なんというあざやかな余情に富んだ幕切れでしょう。このとき以来、私は日常 生活にしばしば訪れる別れぎわを大切にしなければならないことを学びました。

 たとえば私たちが日に何回か使用する電話のことを考えてもそうです。よく、 話が終わったか終わらないうちにガチャツと受話器を乱暴におく人がありますが、 この受話器ひとつおくにも、もっと心を使いたいものです。

 いつか独文学者の手塚富雄氏が「人を玄関から送り出す時、本当に送る気持ち があるなら、客が出ていくか行かないうちに、なかから鍵をかけたり、早速電灯 を消したりすることはできるはずがありません。茶道でもこういぅ余情を重んず ることを読んだことがあります」と言っておられました。

 古代ユダヤの王ソロモンはかって「心地よい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、 からだを健やかにする」といいました(旧約聖書・箴言一六章二四節参照)。こ の言葉は余情あふれる日常生活を送るためのよい示唆となります。

 あまりにも機械化され、スピード・アップされていく今日の生活に、ややもす れば忘れられがちな、この余情を大切にして、言葉にも行為にも潤いのある毎日 を過ごしたいものです。
(by 鴨田増一)