「落書き」
昭和二十年に戦争が終わってまもなく、法隆寺の五重の塔の解体修理が行われ
ました。そのとき、塔の初層の天井の組み木に落書きのあることが発見されまし
た。長い間積もっていたちりを払い、赤外線写真などの助けをかりて判読した結
果、有名な和歌の一部が万葉がなで書いてありました。
書誌学者の小松茂美さんはこのことについてその著書である「かな」という題
名の本のなかで、「面白いことは、それが五重の堵の建築に従事した大工の手す
さびであろうということ。当時、文字を理解する力が、そうした庶民の階層にま
でおよんでいた事実を示す有力な手がかりになる。」と言っています。
今から千年以上も前に書かれた落書きが、漢字やかなの歴史の上で重要な資料
になったのです。この事をもし落書きをした当の本人が知ったとしたら、さぞ篤
くことでしょう。
私たちの日常生活における言語動作は、多くの場合、この落書きと同じような
ものではないでしょうか。あまり考えないで何となく片づけていきます。しかし
何気なく語られる短い言葉やちょつとした動作が、当の本人が気づかないうちに、
他人の心のなかによかれあしかれ強く、そしてある場合には永久に残っていくこ
とを忘れてはなりません。
新約聖書ヤコプの手紙三章の五節に小さいことに気を付けなければならないこ
とに関して、「舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さ
な火でも、非常に大きな森を燃やすではないか」とあります。
今日の私たちの言語動作が将来にも生きていくことを覚え、どんなに小さなこ
とにも気を配って、悔いのない毎日を送りたいものです。
(by 鴨田増一)