「クリスマス」

 「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このか たこそ主なるキリストである。」

 新約聖書のルカによる福音書二章十一節に記録されているこの天使のみ声をベ ツレヘムの野で羊飼いたちが聞いたのは二千年前のことでした。キリストがお生 まれになった日がいつであるか、はっきりしませんが、紀元三五〇年頃からキリ ストの誕生日が十二月二五日と決められ、それ以来この日をクリスマスとしてお 祝いしています。

 わが国でもクリスマスはありますが、この日が大部分の人にとってただ舌や耳 や目を楽しませるだけの日に終わっているのは残念なことです。数年前の毎日新 聞は、そのコラム欄に「日本のクリスマスは多神教のお祭りである。客にとって は酒の神ディオニュソスの、店にとっては商業の神ヘルメスのお祝いだ」と書き、 模倣好きの日本人がその精神をまったく理解しないで、クリスマスを祝っている ことを嘆いていました。

 クリスマスこそ、キリストの降誕をしのび、キリストが何のためにこの世にお 生まれになったかということを瞑想すべき時なのです。

 マリヤが身ごもった時、天使はヨセフに「彼女は男の子を産むであろう。その 名をイエスと名づけなさい。彼はおのれの民をそのもろもろの罪から救う者とな るからである」(マタイ一の二一)と告げました。

 キリストは人類の救世主として、私達の罪を取り除くために来られました。キ リストなしに私達は生きることができないのです。

「キリスト不在」のクリスマスでなくて、心の真ん中にキリストを据えてみては いかがでしょう。「おのれの民をそのもろもろの罪から救う者」として来たり給 うたイエスを瞑想してこそ、クリスマスは私達にとって最大のものとなるのです。

(by 鴨田増一)