「み前に沈黙すること」
宣教師として長い間日本伝道のために尽くされ、引退後アメリカに帰られて間
もなく、この先生の娘さんが亡くなられたという報に接した時、私達は大変な
ショックを受けました。「あんなに優しくて親切で誰からも愛されていた、あの
娘さんが、なぜ?」「神様はどうしてこんなに早くあの娘さんを」−このような
疑問が頭の中をよぎりました。
それからしばらくたってから、その先生ご夫妻と亡くなった娘さんのご主人と
の連名による一通の手紙を受け取りました。
「この度の悲しい出来事に対して私達の神様に対する信頼は少しも変わってい
ません。今どうしてもわからないことを、そのままの状態で受け入れます。必ず
神様は良い時機に私達に対して、何故こんなことが起こったのかというこの大き
な疑問に答えて下さるはずです。私達は、愛する者と再会できるという信仰を持
っています。キリストが再びこの地上においでになる、キリスト再臨の朝を心か
ら待ち望みたいと思います。」
何というすばらしい信仰でしょう。
旧約聖書ハバクク書二章二〇節に「しかし、主はその聖なる宮にいます、全地
はそのみ前に沈黙せよ」という言葉があります。
神様の「み前に沈黙」するということのもうひとつの意味をこの先生の手紙か
ら学びました。私達人生の歩みの中でどうしてこんなことが、と思うことが時々
あります。そんなとき「万事を益となるようにして下さる」(ローマ八の二八)
神様を見上げてしばし沈黙する信仰、私達にはすべてが神のみ旨であることを信
じて、沈黙しなければならない時があるのです。
(by 鴨田増一)