「冬きたりなば春遠からじ」
長い冬の間を辛抱してきた私達にとって、春の先触れを感じることは、どんな
些細なものにしろ、心うれしいものです。
希望の春、萌え出ずる春。暗い寒い冬が死を象徴するものとすれば、春はまさ
しく新しいいのちを象徴するものです。
そこで考えました。長く続く暗い寒い冬を、私達が現在生活しているこの世界
になぞらえ、春を、私達がいつも待ち望んでいる天国に例えることができないも
のでしょうか、と。
私どもの世界に春という季節があるからこそ、寒い冬が耐えられるのです。あ
かぎれの手を眺めながら、暖かい春を待ちます.オーバーの襟を立てて「もう少
しの我慢だ」と寒風に向かいます。
人生をよく船の旅に例えますが、その人生航路において、浅瀬に乗り上げてし
まつたような経験はなかったでしょうか。また、すっかり難破してしまってもう
駄目だと思われたことはなかったでしょうか。
そのような時、旧約聖書に登場する信仰の先輩達はやがて来る希望の春−神が備
えて下さる天国を望み見て耐え忍びました。彼等の心には常に神の国が生き生き
と存在していたのです。
神は「目がまだ見ず、耳がまだ開かず、人の心に思い浮かびもしなかった」(コ
リント人への第一の手紙二の九)ところを私どものために備えて下さっているの
です。
聖書の一番最後の巻物であるヨハネの黙示録には更に天国について「神自ら人
と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや死もなく、悲
しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」(黙
示録二一の三、四)と描写されています。
目を天にむけ、希望を抱いて毎日を過ごしましょう。
(by 鴨田増一)