「ひたむきにさせる愛」

 お元気ですか? 明智信作です。 私が聖書に対して心を開くきっかけになっ たのは、キリストの偉大な弟子であったパウロが、ピリピ人にあてて書いた手紙 の一節でした。それは、こんな言葉です。

「兄弟たちよ。わたしはすでに捕らえたとは思っていない。ただこの一事を努め ている。すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目指して走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得 ようと努めているのである。」

 クリスチャンというのは、過去にしばられないで、ひたすら目標をめざして、 前進、向上しようとしているのだ、と私は理解しました。それは、私が心の中で 求めていた生き方でした。もしクリスチャンがこのように生きるのなら、私も、 素直な気持ちになって聖書を学んでみよう、そして、なれるものならクリスチャ ンになりたいものだ、と思ったのです。これが、きっかけでした。

 その後、短期間の内に、私は聖書にとらえられ、キリストを信じる者に変えら れていったのです。この言葉を書いた使徒パウロは、だれよりも十字架の強く迫 る愛に動かされていた人でした。パウロは、キリストにとらえられてから、ひた すら、一つの目標に向かって前進に前進を続けました。

 彼には、自己満足の精神が見られません。彼は常に求道者であり続けました。 パウロは、キリストを知ることのすばらしさを体験し、ますます、より深く知ろ うと求め続けたのです。彼のひたむきな生き方は、「ただこの一事を努めている」 という言葉に良く表されています。彼は「後ろのものを忘れ」と言いました。彼 の過去には、無知からとはいえ、クリスチャンを迫害した悲しい罪と、改心後の 伝道者としての、輝かしい成功の記録がありました。

 しかし、彼は、そのどちらにも縛られていません。彼はランナーが、ゴールに 向かって体を前に傾けて走るように、ひたすら前に向かって前進したのです。彼 を最期まで、走り抜かせたものはキリストの愛でした。この愛こそ、私たちが真 剣に生きる動機となるものです。
(by 明智信作)