第11課 黙示録と日曜日

 黙示録が最終時代のためイエスと彼の復活をその中心に置いていると、ある人 は考えます。それで、主の復活をあがめて、日曜日を聖日として守る教会の習慣 に関して、特別な説明が見付かるのではないかと期待しています。

 しかし、不思議なことに、日曜日については何も書いてありません.更に不思 議なことに、新約聖書の他のところでは8回も日曜日について書いてあるのに、 1度もその日を聖く守るようにとは書いてないのです。何百万という聖書を信じ ているまじめなすばらしいクリスチャンが、日曜日に礼拝しているのに、なぜ聖 書はこの主題について不思義な沈黙を守っているのでしょうか。

 表面にあらわれている以上に、多くのことが関連しているのでしょうか。答 は、”はい”です。黙示録の大預言の一つは、この日曜日礼拝の主題に関連して います。このセミナーにおいても、この重要な主題についてくわしく研究します。 それで新約聖書の8つの週の初めの日に関する聖句を調べてみましょう。

もし日曜日を聖く守りなさいというご命令があれば、この聖句のうちのどこかに あるはずです。

日嘩日に関する8つの聖句

問1.イエスの復活に関する三つの新約聖書の聖句について考えてみましょう。
   以下の聖句のうち、その日を聖い日としている聖句がありますか。マル
   コ18:9(新81)、(マタイ28:1、ヨハネ20:1)

答:「週の(    )の朝早く、(   )は(      )」
注:聖書の中では日曜日はいつも週の初めの日と呼ばれています。
  マルコは、弟子たちが、その報せをきいても、「信じなかった」と記してい   ます。


問2.4番目の聖句は、マルコ16:1、2(新81)です。この聖句はこの日
  (日時日)が聖いことを示していますか。

答:「週の初めの日に、早朝、日の出るころ墓に行った」
注:この新約聖書の記事は、興味あることを示しています。日曜日は安息日でな
  いといつているのです。この聖句は、安息日が終わって、週の初めの日になっ
  たと言っています。


問3.ルカ24:1(新162)は週の初めの日に関する新約聖書の中の5番目の
  聖句です。この聖句はこの日が聖いと言っていますか。

答:「週の初め日、夜明け前に、女たちは用意していた香料を携えて、墓に行っ
  た。」
注:ルカによる福音書は、異邦人のクリスチャンによってキリストの昇天後
  30年して書かれましたが、礼拝の日の変更については書いてありません。


問4.医者のルカは(コロサイ4:14)ルカによる福音書と佳徒行伝を書きま
  した。この2冊ともルカはテオピロと呼ぷ友人にあてて書いています。
 (ルカ1:3、使徒行伝1:1)。使徒行伝1:1〜3(新180)でルカは
  自分が書いた福音書について非常に大切なことを言いました。ルカはイエス
  の活動について、どの位、彼の福音書に書いたと言っていますか。

答:「わたしは先に第一巻を著わして、イエスが(  )、また(  )はじめ
   てからこれらのことを、‥‥‥(     )しるした。」
注:これは非常に重要な聖句です。ルカはここで、彼の福音書にイエスの行なわ
  れたこと、教えられたことを弟子たちに与えられた戒めも含めて、すべてを、
  しるしたと言っているのです(使徒行伝1:2)。しかしルカが書いた福音
  書には、ルカは週の初めの日について一度書いているだけで、そこには、そ
  の日が聖い日であるというような暗示さえありません。


問5.新約聖書の週の初めの日に関する6番目の聖句は、ヨハネ20:19(新
  176)にあります。ある人は、弟子たちがこの集会に集っていたのは、週
  の初めの日を聖日として守り始めていたからだといいます。この聖句によれ
  ば、なぜ彼らは集っていたのでしょうか。

答:「一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を(    )、自分たちの
  おる所の戸をみなしめていると‥‥‥」
注:弟子たちはイエスの復活を記念して、新しい聖日として守り始めるためにそ
  こに集まっていたと言える可能性はありません。弟子たちはイエスが彼らの
  中にお立ちになるまで、イエスが復活されたことを信じることを拒んでいた
  のです(マルコ16:14)。

  神の律法は、神の品性と同様に決して変らない。


問6.新約聖書で7番目の遇の初めの日に関する聖句は、コリント第一16:1、
   2(新276)です。ここでいくつかの質問かあり、それに答えなければ
   なりません。
   この聖句はこの日が聖いと言っていますか。

答:「一週の初めの日ごとに‥・・・・いくらでも収入に応じて、手もとに貯えて
   おき、私が着いた時になって、初めて集めることのないようにしなさい。」

  この聖句は「週の初めの日に教会堂で献金かごがまわって来たら、献金を献
  げなさい」と言っていますか。

答:(はい、そうです)(いいえ違います)(わかりません)

  この聖句は、週の初めの日に、「収入に応じて手もとにたくわえておき」と
  いっていますが、「手もとに」とはどういう意味ですか。


答:(自分の家で)、(個人的に)
注:「手もとに」ということばは、自分の家で個人的にすることを表わしていま
  す。多くの英訳の聖書が同じように訳しています。例えば、新英訳聖書では
  「あなたがたひとりひとり、自宅で自分の稼いだお金のうちからいくらかを
  別にしてたくわえておきなさい」となっています。パウロは飢饉で苦しんで
  いるエルサレムのクリスチャンのためにお金を集めていました(使徒行伝1
  1:27、30、ローマ15:26)。そこでパウロは前もって彼が訪問す
  る予定の教会に信者ひとりひとりが、家で、毎週お金を別にして、パウロが
  着く時のため、準備するよう奨めているのです。クリスチャンたちは安息日
  を聖く過ごし、普通は日曜日に帳簿のしめ切りをしました。それで、その日
  は、困っている人に与える計画をたてるのに一番理想的な日だったのです。


問7.週の初めの日に関する8番目の、つまり最後の新約聖書の聖句は使徒行伝
  20:7〜12(新216)です。この聖句は日時日を聖日として守ってい
  たと書いてありますか。

答:「(    )の日に、私たちが(       )に集まった時、パウ
  ロは(  )出発することにしていたので、しきりに人々と(  )合い。」
問a.この聖句は安息日が日曜日に変更されたと言っていますか。
答:(はいそうです)、(いヽえ違います)、(わかりません)
問b.この聖句は彼らが毎週、礼拝のために集まったと言っていますか。
答:「パウロは(  )(  )することにしていた」
注:パウロは教会に別れを告げるため旅行していました。使徒行伝20章21章
  によれば、この別れを告げるための旅行で、少なくともこの他に5つの教会
  を訪問したことがわかります。パウロがもう二度と会えないかも知れないと
  いうと、人々は泣きました(使徒行伝20:37、38、21:1314)。
  トロアスでの集会は特別な送別の集会でした。それで、集去が長時間続いた
  のです。この他もう二つたいせつな点があります。
  a、この集会で、パンをさいたという事実は、この日が聖なる日であること
    をあらわすものではありません。聖書に彼らは毎日パンをさいていたと
    いっているからです(使徒行伝2:46)。
  b、聖書では、24時間の1日は夕から夕まで、つまり日没から日没までで
    す(レビ記23:32、マルコ1:32)。また聖書では1日は暗い部
    分、つまり夜から始まり、そのあと光の部分、つまり昼間がきます(創
    世記1:5)。この集会は日曜日の暗い部分に始まりました(あかりが
    ともされました。使徒行伝20:8)。それは今わたしたちが土曜日の
    夜と呼んでいる部分です。ある聖書の訳ではそのように訳しています。
    たとえば新英訳では「土曜日の夜に」となっています。聖書では、土曜
    日の夕方、日没と同時に日曜日の夜の部分が始まるのです。つまり、こ
    の特別集会は今のことばでいえば、土曜日の夜開かれました。ですから、
    この集会は日曜日の神聖を表わしているわけではないのです。なぜなら、
    日曜日遵守者は彼らの聖日は真夜中にならなければ始まらないと考えて
    いるからです。


主の日

問8.あなたは、もしイエスか弟子か日唱日を聖日としていたら、バウロがその
  ことをわたしたちに伝えているはすだと思いますか。使徒行伝20.27
  (新217)。

答:「神の(  )を皆(        )、あなたがたに(  )ておいた
  からである」
注:使徒行伝はイエスの昇天から始まって、23年間の記録を残しています。そ
  の中に安息日については8つの違った章で書いていますがそれが変更された
  という暗示さえ一度も書いてありません。


問9.もし仮りに弟子たちが安息日の変更を望んだとして、弟子たちに安息日の
  変更かできたでしょうか。マタイ5:18(新8)。

答:「律法の一点、一画もすたることはなく、ことどとく全うされるものであ
   る。」


問10.サタンはしばしばわたしに、神の律法のうちの一つだけ無視させたり、
   それを破ったりさせようとします。あなたは、その理由がわかりますか。
   ヤコブ2:10(新361)。

答:「その(  )の点にでも落ち度があれば、(  )を(     )にな
  るからである」
注:神の律法は10面の要塞のようなものです。城壁の一つの面でも破られれば、
  敵はそこから侵入して来ます。


問11.黙示録1:10でヨハネは、主の日に御霊に感じたと言っています。聖
  書によればどの日が主の日ですか。マルコ2:28。(新54)。(参考、
  出エジプト20:10、イザヤ58:13、)

答:「(   )は、(   )にもまた( )なのである。」
注:人は時々日曜日を主の日と呼びます。しかし聖書ではそう呼んでいません。
  安息日を主の日と呼んでいます。


イエスの復活の記念

問12.聖書は日曜日を何と呼んでいますか。エゼキエル46:1(新1216)。

答:「(  )をする六日の間は閉じ、安息日にはこれを開き。」

問13.聖書では日曜日を働きをする日と呼んでいて、どこにも聖なる日である
  といっていないのに、どこから、日曜日が神聖な日であるという考えが入っ
  て来たのでしょうか。マタイ15:3(新24)。

答:自分たちの言伝えによって神の(    )を破っているのか。」
注:誤って導かれた人間が、安息日の代わりに他の日を礼拝の日にしたのです。

問14.多くの人が日曜日を、イエスの復活を記念して聖日として守っています
  が、イエスがご自分の死と埋葬と復活を記念するために定められた制度は何
  でしたか。コロサイ2:12(新316)。

答:「あなたは、(     )を受けて、( )と共に( )られ、……
   (    )らされた。」


問15.暦が改正されているので、どの日が週の第7日であるかわからないので
  はありませんか。〔この質問の答えは、注bにあります。〕

注a、          10月 1582年
         日  月  火  水  木  金  土
            1  2  3  4 15 16
        17 18 19 20 21 22 23
        24 25 26 27 28 29 30
        31

注:b、イエスの時代、ローマが統治しており、すでに近代的カレンダーを持っ
    ていました。その後唯一の変更は1582年10月に行なわれ、カレン
    ダーから10日間が削除されました。しかしこの変更は週の碑環に影響
    を及ぼしませんでした。というのは10月4日の木曜日の翌日を10月
    15日の金曜日としたからです。また閏年には1日加えることになりま
    した(2月29日)。しかし、この変更も週の循環に影響を与えません
    でした。ですから、今日のわたしたちのカレンダーの7日目は、イエス
    の時代から間違いなく続いている7日目なのです。


十字架に釘づけにされた

問16.コロサイ2:14〜17(新316)で、パウロは十字架につけられた
  安息日があるといっています。それはどの安息日ですか。

答:「これらは、きたるべき(  )の( )であって‥‥」
注:神はその民にモーセを通じて幾つかの指示をなさいました。一つは十戒の道
  徳律で、人間の神に対する義務と人間に対する義務を明らかにしたものでし
  た。そのような律法はその性質上永久的なものです。もう一つの種類は儀式、
  あるいは礼典の律法でした。それはキリストで成就する犠牲的死と、祭司と
  しての働きを象徴的にあらわす犠牲制度を規定するものでした(へブル10
  :1)。この方法を通して神はイスラエル人に福音、つまり救いの計画を教
  えられました(へブル4:1〜2)。犠牲とへブルの祭司職の仲保により、
  彼らは影を通して示された来たるべき贖い主を見たのです。この礼典律ある
  いは儀式の律法が一時的なものであることは明白です。それはあらかじめ示
  されていたイエスの来るまででした。毎年の、つまり年毎の安息日は礼典律
  すなわち、キリストの救いの計画を示している律法の一部でした。たとえば、
  過越節の儀式としての安息日は、キリストの死を影によって示していました
  (コリント第一5:7)。これらの年毎の安息日は十字架によってすべて終
  わりました。
注:付録1、2、4、をみてください。神と神の律法の比較、道徳律と礼典律ま
  たは儀式の律法、新約聖書の十戒を注意深く復習してください。


問17.日曜日に礼拝している教会はこの問題について何といっていますか。
注:「教会の解釈」と題した付録を読んでから、この質問に答えてください。
  「沈めのバプチスマのみが、キリストの死と埋葬と復活をあらわしています。


わたしの愛と服従


問18.神の民は神の律法を守ると、なぜ黙示録の中で3回も強調されていると
  思いますか。黙示録12:17(新398)。(参考ヘブル5:9)。

答:「( )は、・‥女の(  )の子ら、すなわち、(    )を…( )
   をいどむために出て行った。」
注:黙示録のイエスは、救いは従順である者のためで不従順な者のためではない
  ことを強調しています。マタイ7:21〜23はこの点を非常にはっきりと
  示しています。主のみ名によって多くの不思議なことを行なったものでさえ、
  不服従のために天から閉め出されてしまい、教会の働きを活動的にしていた
  人は衝撃をうけるだろう、とも言っています。


問19.その問題に関して、主は今日のわたしたちに、どのようなたいせつな二
  つのことを言われましたか。

答:a、マタイ15:3(新24)「なぜあなたも、自分たちの(   )によっ
  て、( )の(  )を(   )いるのか」
答:b、ヨハネ14:15(新165)「もしあなたがたが(   )を( )
  するならば、わたしの(    )を(  )べきである。」
注:わたしたちは、自分が従っている人に仕えているのです(ローマ6:16)。
  王の聖日に礼拝して、イエスに仕えたいですか、あるいは、サタンに導かれ
  て、神の聖日をにせ物とすりかえて、誤って導いている人と共に、サタンを
  礼拝しますか。イエスは非常に簡明にいわれました。もし王を愛しているな
  らば彼の戒めに従うべきです。これには第4条の安息日の戒めも含まれてい
  ます。


問20.あなたはイエスが導かれる所へ喜んで従いますか。たとえ道は険しくて
  も、その道は神の都のいのちの木につながっています。

答:(はい、従います)(従いたいと思います)(わかりません)(いいえ)

回答は次回の黙示録セミナーで致します。