「春が来た」

「わが心春の山辺にあこがれて、ながながし日を今日も暮らしつ」

 これは紀貫之の歌です。春分の日が過ぎると、梅の枝に花が開き始めます。そ して春の到来となります。万物が芽ぐみ生長する春の美しさに、そしてその生命 力の偉大さに心あこがれて、日照時間の長くなった春の一日を楽しみたくなるの は妃貫之でなくてもみんなが感じるとろでしょう。

 三月のことを弥生(やよい)ともいいますが、これは、いやおい、いやはえる、 つまりどんどん生長していくという意味なのです。

 三月の暖かい陽をいっぱいに受けて、ずんずん伸びていく芽をみる程、気持ち のよいものはありません。それは、その中に生長エネルギーが満ちているからで はないでしょうか。

 私達はみんな成長することを望んでいます。しかし、ただ伸びればいいという ものではありません。聖書には、植物の生長というものが「初めに芽、つぎに穂、 つぎに穂の中に豊かな実ができる」(マルコ四の二八)ょうに、私達人間も段楷 を踏んで一歩一歩成長してゆくべきことを教えています。

 そして植物の生長に肥料という栄養が必要なように私達の成長に欠かせないも のが聖書の中に書かれている神の言葉なのです。

 今、これを読んで下さっているあなたは聖書をお読みになったことがあるでしょ うか。もしまだでしたらこの機会にぜひ一度お読みになって下さい。そこに私達 の心を育て、はぐくんでくれる栄養源があります。

 のどかな春のひととき、私達一人一人も神のみ言葉によって育てられたいもの です。
(by 鴨田増一)