義
わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。詩篇四ノ一
あるアメリカ人宣教師が聖書研究の時間に義という漢字を説明してくれたこと
がありました。それによると、私が刀で羊を突き刺している、それが我という漢
字の成り立ちだというのです。
私はなるほどとてもうまい説明だなと思いました。それと同時にあらためて、
この「義」という一語を直視した時に、計り知れない痛みを感じました。
私たちはしばしば「信仰による義」という言葉を口にしますが、それはあまり
にも安価な信仰による義ではないでしょうか。もし、それをほんとうに心で知っ
たなら、それは実に痛みの伴うものではないでしょうか。
「義」が、私自身が傷のない小羊を刀で突き刺すことによって得られるとするな
らば、いったいだれが痛みなくしてこの事実を直視し続けることができるでしょ
うか。そのことは私たちをおおいにへりくだらせることでしょう。
「義」とは関係ですから、私たちが「ほふられた小羊」から目を離し自分が何者
であるかを忘れてしまった瞬間、私たちは罪を犯し、この関係は壊れてしまいま
す。私たちは瞬時瞬時、神との「義」なる関係をもち続ける必要があります。そ
してこの「義」なる関係の連続の中に私たちの聖化があるのです。
「わたしの義」は実に私自身が、傷なき小羊の殺人者であるという恐るべき罪を
絶えざる痛みの中で告白することの中にあります。その時「キリストの義」は確
かな「わたしの義」となるでしょう。
(by 河南るり子)