真の礼拝

 聖地旅行をされたある信者さんが、あるガイドさんを通して「神を礼拝すると いうのはギリシャ神殿のようなりっぱな建物を建てることではなく、自分の中に あるいらないものを取り除くということの中に真の礼拝がある」ということに気 づかされたとあかししておられ、私もこのことについて考えさせられました。

 人はだれもが自分の中に偶像をもっているものだと思います。10年間の信仰 生活の中で自分の中にもさまぎまな偶像が巣くっているのだということに、ほん の少し気づき始めたように思います。

 私の中にある最も大きな偶像は、人間に頼るという偶像だったのではないかと 思います。偶像とはいつかは失われるものだから偶像というわけですが、私は神 に期待せずに人間に過度の期待をしてきました。その結果、人を受け入れられな くなって、祈りの精神とは反する裁きの精神だらけになってしまいました。

 これは私の中にあるバビロン、大きな偶像であったわけですが、私たちの教会 の中でも第二天使の使命であるバビロンとは何かということがあまり理解されて いないのではないでしょうか。

 案外気づかないものですが、愛に反する強制手段、外面的判断である人間観察、 理解や受容からほど遠い人間無視の態度。これらも私たちの中に潜むバビロンの 精神であってキリストの方法、精神ではありません。いつか神によって砕かれま す。この私の中にある神に敵対する精神が砕かれてこそ、真の霊的礼拝と言える のではないでしょうか。
(by 河南るり子)