アフリカ青年と靴
新約聖書コリント人への第一の手紙二二章は愛の章といわれていますが、その
中で述べられている愛の定義のひとつに「愛は高ぶらない、誇らない」というの
があります。
この誇るとか高ぶるという言葉を辞書で引くと、「自分が偉いという様子を見
せる。自慢する。他に対して得意の様子を見せ、自らそれを名誉とする。」とい
う説明がありました。
こんな話があります。アフリカのある町で靴を買った一人の青年が、あくる日
その靴を返しに釆ました。不思議に思った靴屋さんは「小さ過ぎたのですか」と
尋ねました。「いや、そうではない」。「それでは大き過ぎたのですか」。「い
や、そうでもない」。「それでは皮の質がお気に召さなかったのですか」、いろ
いろ尋ねるのですが、みんな「そうではない」と答えるのです。
さっぱり要領を得ないので、最後に、「ではなぜこの靴をお返しになるのです
か」と尋ねました。するとこの黒人の青年が「いや実はこの靴を履いて会社に行っ
たが、さっぱり音がしないのでね」と答えました。
この青年の期待は、会社に行った時、靴の皮がギュツギュツと音をたてて、み
んなに新しいすばらしい靴を買ったことが知れて自分の方を注目してくれるとい
うことだったのです。みんなに目立って誇りたかったのです。
私達には、何となく誇りたいという気持ちがあります。人よりも自分が上だと
思いたいところがあります。しかしキリストは十字架にかけられる前、弟子達と
最後の晩餐につかれた時、弟子一人一人の足を洗い、普通いやしいしもべがする
行為を通して、真の謙遜の意味を示されました。
ここに私達の模範があるのです。「愛は高ぶらない、誇らない」。まことのへ
りくだり、謙遜を身につけたいものです。
(by 鴨田増一)