神様のくれた宝物

 私は40歳の時に結婚しました。洗礼は、その7,8年前に受け教会に出入り するようになりました。どこの教会も同じ状況かもしれませんが、教会は女性の 数が圧倒的に多く、その割合は7,8割が女性で2,3割が男性という構成です。

 そのため教会に行くようになった当初は、不謹慎にも「これだけ女性が沢山い れば選り取り見取だな」と思い、結婚に対しては楽観視していました。しかし現 実は決してそんな甘くありませんでした。

 私自身、結婚に関しては洗礼を受ける前から、受けた後も強いあこがれに似た 願望がありました。女性が多いと言うこともあって私の言動に傲慢さが無意識の 内にあったのかもしれません。お付き合いを申し込む一方から次々と断られてい きました。

 牧師先生にもご紹介いただきお付き合いが始まったこともありました。しかし なぜか長続きするものはありませんでした。最初の内はクリスチャンの女性であ ることを人生の伴侶の条件にしていたのですが、これだけ断られると、その条件 もはずしてしまい、会社の同僚の女性にも声をかけると言うこともしました。結 果は無惨なものです。

 このようなことを繰り返していくうちに「結婚は自分にとって無縁なものなか な、このまま結婚できないのかな」という思いが強くなってきました。そのよう なある種絶望の思いの中で神様に祈り求めたのです。

 それまでも結婚は私の祈りのなでも大きなテーマでしたが「結婚させて欲しい、 よい伴侶を与えて欲しい」というような自分の希望を伝える内容のものでした。 それ以降の絶望で打ちのめされた後の祈りは「すべてをあなたに委ねます。あな たの御心がなりますように」という内容に変わってきたのです。

 1週間ほどこの祈りを続けていくうちに、ある女性が示されました。示された というのは、祈っている間にこの女性のイメージが頭の中に浮かんでくるのです。 しかしこの女性は、私の理想とする伴侶とは全く異なるのです。あまり目立たな い性格で自分とはとうてい合わないと思っていました。

 以後、祈りの度に彼女を示され、その度に「本当にこの方なのですか」と繰り 返し神様に質問しました。「すべてを私に委ねたのではなかったのか」と神様は 言われます。そこにいたのは絶望の淵に立った私と神様だけではありませんでし た。死にきれない自我を引きずった私がいたのです。

 彼女は、教会内でも結構わたしと近いところにいたのです。同じコワイヤーの メンバーで彼女はアルト、私はテナーでした。賛美している時の当時の写真を見 ると1人か2人隔てて並んで写っていました。

 私は彼女に結婚を前提にしたお付き合いの申し込みをしました。彼女は快く受 けてくれて、お付き合いが始まりました。デートは、遊園地へ行ったり、美味し いものを食べに行くとか言うようなものではありませんでした。

 2人でクリスチャンホームについて書いてある本を輪読したり、クリスチャン 家庭をどのように作っていったらよいか等を話し合いました。そこには世の娯楽 的な楽しみはありませんでしたが大変充実していて現在の家庭の基礎となったと 確信しています。

 お付き合いをはじめてから、2ヶ月後に婚約をして、その1ヶ月後には結婚に 至りました。結婚してから9年になりますが、この9年間はそれまでの40年間 よりも素晴らしく、密度が濃く、内容も充実しています。

 これもすべて妻のおかげ、いえ妻を与えてくれた神様のおかげだと感謝してい ます。

 妻は私が選んだのではありません。もし私が自分の自我で選んでいたらこのよ うな素晴らしいクリスチャン家庭は築けなかったのではないかと思います。神様 は私にふさわしい女性、私が理想とする以上の女性を妻として与えてくれました。 妻は神様が私にくれた人生最大の宝物の一つです
(by 和夫)