祈りについて<

唐突ですが、皆さんにとって「お祈り」とはどんなものでしょうか。

「お祈り」は、クリスチャンにとって呼吸みたいなものだと言われます。日頃、 何となくやっているけれども、これが絶えるとクリスチャンとしての霊性が死ん でしまいます。大変大切なものです。

 聖書は、神様からの私たちに一方的に送られてくるメッセージであるのに対し て、「お祈り」は神様との双方向のコミュニーケーションの唯一の手段でもあり ます。神様との会話である「お祈り」を日常的に行っていないと、私たちは神様 を身近に感じられないのではないでしょうか。

 この様なことが分かっていても、「お祈り」が朝、夕の礼拝や食事前の形式化 したものだけとなったり、時間を聖別して神様と個人的に交わるということがな かったりします。

 又、兄弟姉妹が多数いる中で指名されて「お祈り」する時、自分の祈りの表現 が他のものにどの様に聞かれ、どの様に思われているかと言うことが気になって、 神様と話しているにもかかわらず、関心は人の思いに向いている自分があり、そ の祈りはもはや祈りと呼べるものではなく人に対してスピーチしているのです。

 もう5,6年も前のことになります。安息日のサンセット礼拝をしている時の 話です。礼拝も終わりに近づき終わりのお祈りをある姉妹にお願いしました。す るとその方は「私はお祈りできません。今、祈れるような状態にありません。」 と言ってお断りになりました。

 人は、ある程度、霊的に健康状態を保っていないとお祈り出来ないのだなと言 う感想を持ちました。私にはこれまでその様な経験がありませんがあまりにも不 幸な状態、重荷を負っているとお祈りできないものなのですね。
(by 和夫)