ヨブ記について
私の大変個人的でネガティブな意見ですが、ヨブ記を読むと落ち込むのです。
自分がヨブと同じ様な試練に合わされたら、お祈りどころか、信仰自体も吹っ飛
ぶだろうなと思います。
家畜や家などの財産は取り上げられても耐えることが出来ますが、愛する妻や
子供達を神様がサタンに許されたという形で失うことは、耐えることが出来ませ
ん。この部分2,3節で簡単に記述してありますが、もし自分がヨブの立場だっ
たらと思うと先を読み進んでいくのがイヤになります。
この記の最後では、神が失われたものを回復されたという内容になっています
が、最初に失った妻や子供達が後で与えられる妻や子供達で代替になるかと言う
ことです。
私は、聖書の話は、全て実話であると思っていますが、この話は、モーセが書
いたフィクションなのでしょうか。「まあまあそう堅いこと言わずに神様の意図
するところをくみ取って、良いとこだけを見ていこうよ」と言う意見もあります。
しかし私にとって妻、子を理不尽な理由で取られると言うこの部分だけでヨブ
記を積極的に読もうと言う気力が無くなります。
しかし、エレンGホワイト著の「祝福の山」中に以下の文がありました。
「耐え難く思われる試練も、信仰を持って受けるならば、祝福であることがわか
る。この世の喜びを砕く残酷な一撃も、私たちの目を天に向ける手段となる。」
この文章を読んだ時、ヨブさんの経験は、ヨブ記で完結するのではなく続編と
して、大テーマである再臨を含んだ新約聖書が来るのではないかなと思いました。
この世の幸福と言うことだけを見るとヨブ記の結末は子を持つ親としては納得
できないけれど、クリスチャン人生という大局から見ると、この世の生活はほん
の一部であり、むしろ再臨以降の生活の方が時間的にも長いし、永遠に続くもの
である。
たとえ、その時(ヨブ記の時)、神が奇跡を起こして前の妻や子供達を生き返
らせたとしても、やがては死が何らかの形で訪れ失うことになるのですね。
再臨でヨブさんは、前の妻や子供達とあえるのでしょうね。やはりこれは大き
な祝福ですね。アーメン
(by 和夫)