本物(聖書)に触れる大切さ
ある日、私と妻は、ガソリンスタンドでガソリンを給油していました。その日、
そのスタンドでは、給油サービスとしてファーストフード店の只券を配っていま
した。
給油を終えた後、その足で駅前のファーストフード店に行きました。妻はミル
クシェイクを注文してストローで一口飲むなり「何これ」と言って、吐き出しこ
そしなかったもののそれ以上飲もうとはしませんでした。
人工的な味付けがしてあり本物のミルクシェイクの味ではないと言うのです。
日頃、家庭でちゃんとした材料で料理を作り本物の味になれていた彼女は一瞬に
して本物か偽物か見分けたのです。
宝石の鑑定の大家の話によると、宝石を本物か偽物か見抜く力を付けるには、
日頃から出来るだけ沢山の本物の宝石を見ることだと言います。
銀行で偽札が発見される例は、多くの紙幣を数えているうちに、指が本物の紙
幣の感触を覚えていて偽札が混ざるとすぐにわかると言います。
これらのことは何を意味しているのでしょうか。私たちが日頃、聖書に接して
いれば、偽物に出会ったとき、直感として判別できると言うことです。逆に、聖
書を読んでいなければ、どれが真実でどれが偽りかの区別が出来ないのです。
今の世の中、あまりにも偽物が多すぎます。聖書に立ち返りましょう。クリス
チャンの基本は聖書です。
最初の話しに戻りますが、最近の若いお母さんは、子供連れでファーストフー
ド店によく来ています。最初からこのミルクシェイクの味で育てられた子供は、
逆に本物の味に接したとき、そちらを偽物と思うのでしょうね。
(by 和夫)