ダビデの裁き

 私が小学校5年生の時の話です。ある日の放課後クラスの友達3人程と教室に 残って遊んでいました。すると担任の先生が来られて、本日行われた、理科の試 験の答案添削の手伝いをして欲しいとの依頼がありました。私たちは快く引き受 け解答用紙をそこにいた人数分に分けて模範解答を見ながら添削の作業を進めま した。

 暫く作業を続けていると、隣で添削作業していたA君が、私に回答内容につい て尋ねてくるのです。A君は私などよりも遙かに頭がいい優等生でした。そのA 君が、尋ねてくるのですから私は少し誇らしげに思い、解答用紙を見せてもらい ました。

 しかし、そこに書いてある回答内容は、意味不明で何が書いてあるか分からな いのです。私はA君に向かって「こりゃ×だね」と偉そうにアドバイスするつも りで言いました。

 するとA君は、にやりと笑って、この解答用紙の回答者の欄を私に示しました。 なんとそこにははっきりと私の名前が書いてあったのです。私は穴があったら入 りたいような気持ちで顔を真っ赤にしてその後の作業を続けました。

 人は、自分自身のことを冷静に判断するのは難しいですが、第三者的に示され ると簡単に、その判断が出来てしまうのですね。

 ダビデについて学ぶとき、預言者ナタンにより罪を示され、それを認めるあた りの聖書の記述は、今の時代で言えば、検察官が大物政治家を追いつめていき罪 を認めさせる場面とだぶります。ダビデは、罪を認めるだけでなく自分に対する 裁判までやってしまいました。

 この様に、自分自身の罪を客観的に見つめることが出来るように示して下さる ことは、神様の大いなる恵みかもしれませんね。

 ペテロがイエス様を3度否むことを前もって示されたのも、未来時間のペテロ をペテロ自身が第3者的に見ることにより拒否し最終的に自分の弱さ、罪深さを 認めるという恵みに預かるのだと思います。
(by 和夫)