尋ねる耳
黒田恭一さんがお書きになった『はじめてのクラッシック』という本の中に、
演奏を聴くひとりの男性の話しが出てきます。
彼はコンサート中、ノートを片手に客席に座り、難しい顔をして演奏の出来不
出来を批評します。
そのことについて黒田さんはこう語っています。「演奏中の彼のふるまいから
判断すると、彼は音楽を深く感じ取ろうとして「尋ねる耳」になっていたとは考
えられなかった。彼は音楽についてのいささかの知識を杖に、ただ「裁く耳」に
なっていただけであった。
黒田さんは、そこで音楽を聴くということは、その音楽のもっている素晴らし
さや感動を「尋ねる耳」をもって味わうことであるとおっしゃっているだと思い
ます。
私たちの人生の歩みにおいても同じことが言えるのではないでしょうか。
「どうせ俺の人生はこんなもんだ」とか「世の中が悪いんだから仕方がない」な
どと、まさに「裁く耳、裁く目」をもって周囲や自分に見切りをつけてしまって
はいないでしょうか。
それに対して、もし私たちが「訪ねる耳」や「訪ねる目」をもって生活するこ
とができたらどうでしょう。
「私の人生もひょっとすると捨てたものではないかもしれない」「私にはいった
い何が出来るだろうか」「私の人生にもきっと何か宝がかくされているかもしれ
ない」という生き方が出来るかもしれません。
神様と共に生きるとはまさにそのようなことです。
聖書の言葉。
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主
を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
これは箴言3章の5節6節の言葉です。
「すべての道で神様のお働きを期待して生きる。」それはまさに、「尋ねる耳」
「訪ねる目」持った生き方です。そうするならば、私たちは神様のお働きを味わ
い知り、自分の人生を豊かに味わうことができるのではないでしょうか。
(by 藤田 昌孝)