恵みを受ける器

 三つのガラスの容器がありました。お喋りをしていましたが、ひょんな事から 誰が一番偉いかという話になりました。

 一番目の容器は、「僕の、このすらっとした姿を見てくれ、細長く、長身に伸 びた口、誰よりも背が高く、いつも僕は、みんなを見下ろすことが出来るんだ。 僕が一番偉いのは、明らかだね」

 そうすると2番目の容器が、「いいえ、一番偉いのは、やっぱり、この私よ。 私の頭には、誰にも負けない、きれいな花模様の付いたふたが付いているのよ。 このふたを見れば、誰だって私が一番だと思うわ」

 三番目の容器も自慢したいと思いましたが、どう考えても自慢するところが見 つかりません。身体は細くなく、ずんぐりむっくりだし、花柄模様の付いたふた など付いていません。唯の広口瓶みたいな容器でした。

 一番目と2番目の容器は、長いこと、どちらが偉いかという議論をしていまし たが、結論が出ません。それで、この家の主人に決めてもらうことにしました。

 ご主人は2つの容器の主張を全て聞いた後、三番目の容器に聞きました。「君 はどうなの」「僕は、何にも誇るところがないから…」蚊の消え入りそうな声で 答えました。

 ご主人は、暫く考えた後、こういいました。「君たちは、容器なんだから、ど の位、天の恵みを受けられるかで決めたらどうだい。今晩は、丁度雨だから、一 晩中、窓の外にいれば分かるよ」

 そうして三つの容器は窓の外に置かれました。そして朝になりました。

 一番目の容器は、自分の身体の半分も水は溜まっていませんでした。細長い口 のために雨が十分に入らなかったのです。

 2番目の容器には、全く水が溜まっていません。自分自身が誇った花柄模様の ふたのために、雨が全て外にこぼれたのです。

 三番目の容器には、その口元まで雨水が一杯になり、溢れるほどでした。

 神様の恵みは、天から降る雨のように、クリスチャンにもノンクリスチャンに も平等に降り注がれています。この恵みを受けること事が出来るか否かは、広口 瓶のような心、すなはち、謙遜の心が必要なのではないかと思います。

 人間的な見栄や装飾があると、この御霊の実が成長できず、結果として天の恵 みを十分に頂けないのではないでしょうか。

主を恐れることは知恵の教訓である、謙遜は、栄誉に先だつ。箴言15:33
(by 和夫)