しがみつく信仰
少年は、夢を見ていました。何故だかは分からないけど、大きな木の枝にしが
みついていました。
その木は、大きな沼の上に枝が伸びていて、少年は、その枝につかまっていた
のです。下を見ると、沼には、何匹もの大きなワニが口を開けて待っています。
少年は、最初、両手両足で、その枝にぶら下がっていました。そうする内に足
がしびれてきたので、両手だけでぶら下がることにしました。
両手だけぶら下がっていても、時間が経つ内に、その両手がしびれてきました。
今度は、両足を木の枝にかけて逆さまにぶら下がることにしました。
何度かこの作業を繰り返している内に、突然、その大きな木が少年に話しかけ
てきました。「少年よ、私の枝にぶら下がるのではなく、私の枝の上に座りなさ
い」
「とんでもない、こうして、あなたにぶら下がり、あのワニたちの中に落ちな
いだけで十分です。自分の体重くらい自分で支えて見せます。」
少年はこう答えて、両手、両足を交互に使って枝にぶら下がっていました。し
かし、何度も繰り返している内に体力を消耗して足を枝まで上げることが出来な
くなり、両手でぶら下がるだけとなりました。
その両手もしびれてしまい、ついには枝を掴んでいることが出来なくなり、ワ
ニの中に落ちていきました。
落ちながら、少年は、自分の体重も支えることが出来ない弱い存在だと言うこ
とを認識しました。そして、夢から覚めました。
私達は、自分の救いのために何か出来ることがあるでしょうか。毎日、聖書を
読んで暗唱聖句をすることでしょうか。聖書に書いてある律法を一字一句、忠実
に守って毎日を生活することでしょうか。教会に沢山献金をすることでしょうか。
教会で一生懸命ご奉仕をすることでしょうか。
答は、否です。敢えて私達に出来ることと言えば、「感謝します」と言うこと
ぐらいです。
救いのために為にわたしたちができることは、何一つ無く、唯々、神様の一方
的な恵みによって救われているという思いで毎日を過ごしたいものです。
あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、
あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるので
はない。それは、だれも誇ることがないためなのである。エペソ2:8,9
(by 和夫)