善と悪を判断する力

 ソロモンが、王として国を治めるにあたって、神様に願い求めたものが、「善 と悪を判断する力」であったと言うのは有名な話です。

 それでは、何が善であり、何が悪であるか判断する基準となるものはなんでしょ うか。この質問に対しても、「神により示された絶対基準」という回答が明白だ というのは、誰も異を唱えることはないと思います。

 人の世の中にも善悪を判断する基準はありますが、その基準は、時代、場所な どの要因により猫の目のように変わり、私達が、それを頼りに生きて行くには、 あまりにも不安定で、信頼の置けないものなのです。

 例えば、タバコや酒は、18歳未満の未成年にとっては、悪ですが、その年を 過ぎると、肉体の健康を損なうということを無視すれば、周りの目を気にするこ となく、好きなだけ嗜好できる、善なのです。

 又、最近、多くの食品会社が新聞にお詫び広告を出し、それが使用されている 食品を回収している添加物は、日本国内では、厚生省が認可していないと言うこ とで悪ですが、一旦外国に出ると、何の問題もない善なのです。

 長野県議会の知事不信任案可決の原因となった田中康夫県知事の「脱ダム宣言」 も県議会内では悪ですが、一般県民にとっては善となります。

 最初、ソロモンが神に祈り求める聖書の記述箇所を読んだとき、この「善と悪 を判断する力」とは、日毎のまつりごとで判断をしていく場合に、神様のくすし き御技としての知識、知恵を求めたのかなと思いました。

 実際、大岡裁きにある本物の母親と偽物の母親の2人の女性の間に子供を置き、 競わせて、実母を特定する話は、ソロモンの裁きの話から来ています。

 しかしながら、この「判断する力」について、もう少し深く熟考するとき、単 に、技術や知識レベルの力だけではないのではないかと思われるのです。

 ソロモンは、小さいときから、神とともに歩み、神の思いについては、十分に 理解していたのではないでしょうか。ですから、人間的な困難にぶつかっても、 神様だったら、この様に考え、この様に判断されると言う神の思いを知る事は出 来ていたと思います。

 しかしその後が肝心です。神の思いを知り、何が善であるか、何が悪であるか 解ったとき、それをそのまま、治世に適用していくことが、大事なのです。王で あるという立場から、取り巻きが沢山いて、それだけ、まつりごとが人の思いに 左右されやすいと言うことが多々あったのではないかと推測するのです。

 私達もクリスチャンであるなしに拘わらず、日々の生活の中で、判断を迫られ、 判断を下して、過ごしていますが、その時必ず、聖霊が働いて神の御心を伝えて くれます。ある人は、それを良心の声というかもしれません。

 この絶対的「善と悪を判断する御心」を伝えられたとき、躊躇無くそれに従っ てゆける力を与えてくれるよう祈りたいものです。
(by 和夫)