隠れた所

 マタイ6章6節の言葉です。
あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあ なたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて くださるであろう。

 人は誰でも心の中に隠れた部屋をもっているものです。私たちの心の中には、 どうぞ、お入り下さい、自由にご覧ください、と言える場所と、ちょっと待って ください、ここだけは入らないで下さいと言わざるを得ないと恥ずかしい場所、 隠しておきたい場所があるものです。

 他人に話すことのできない隠れた所、両親にも兄弟にも先生や友人にも明かす ことのできない隠れた所を持っているものです。そして、えてしてそこに隠れて いる問題、隠れている思いが、その人の行動を左右し、その人の人生に重荷を与 えている場合がたびたびあります。

 もし、神様がそのような部屋をす通りされるとしたら、神様と私たちの関係は、 いたって表面的な、絵に描いた餅のようになりかねません。きれい事の関係で、 終わってしまうことがあります。

 しかし、神様はそのような私たちの隠れたところにおられ、そのところで、私 たちと出会って下さるというのです。

 しかしそれは、神様が私たちの全てを目を光らせて監視しているということで はありません。そうではなくて、神様は私たちの最も弱いところ、誰にも語るこ とのできないところ、しかしそれだけに私たちに重荷を与えている、そのような 所で働いてくださるということなのです。

 神様は、それがどんなに些細な問題であっても、またそれがどんなに個人的な 問題であっても、それについて温かく、優しく取り扱ってくださいます。そして、 豊かに報いてくださるというのです。

 もし、今、私たちが、心の奥底に隠された悩みや問題をイエス様の前に差し出 すことができたなら、そこで私たちは、イエス様と手を取り合って歩み始めた新 しい自分自身を発見することでしょう。
(by 藤田 昌孝)