清い生活
長年聖書研究を続けておられる、あるご婦人が次のように仰いました。「私は、
皆さんのように清い生活を送れないので、長いこと聖書を学んできましたが、バ
プテスマを受けてクリスチャンになることは出来ません。」
この言葉から、このご婦人は、「教会に行っている人は、全てクリスチャンに
ふさわしい清い生活をしている。この様なクリスチャンになるためには、清い生
活が出来るようにならなければならない。」と思っていらっしゃるようです。
クリスチャンになる判断基準が上記のものであれば、この地上にいる人間は、
誰一人としてクリスチャンにはなることが出来ないでしょう。
次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。ローマ3:10
逆に我々は、自力で、この様なクリスチャンになれないからこそクリスチャン
になっているのです。
清い生活を送ると言うことは、この地上に生活していながら、足を地面に触れ
ることなく歩いているようなものです。とてもそんなことは出来ません。地面を
歩けば、当然のことながら泥が足の裏に付きます。
その付いた泥をどうするかというと、イエス様に洗足していただききれいにし
て頂くのです。この洗足を断ったクリスチャンがいました。ペテロです。イエス
様は、このペテロに対して以下のようにお答えになりました。
ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは
彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしと
なんの係わりもなくなる」。ヨハネ13:8
汚れた足(罪)を恐縮の思いでイエス様の前に差し出すと、イエス様は、その
罪をきれいに洗って下さるのです。でもまた日時か経過すると足が汚れてくるの
です。
先のご婦人は、この足の汚れを自分で落とそうとされているのですが、自分で
落とすことは出来ません。
清い生活とは、案外と、この様な足の汚れた罪の生活から解放されたサッパリ
とした霊的健康状態を回復することかもしれません。
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人
である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。マルコ2:17
(by 和夫)