夜明け
私が子供の頃、斜め向かいの家が鶏のチャボを飼っていました。朝になります
と、ガー、ガーとなくのです。うるさいなー。朝っぱらから。思っていました。
日曜日などは、その声が恨めしくて仕方ありません。
あるとき、そんな私に父は言いました。あの声は鶏が誰よりも先に夜明けに気
がついて、まだ夜明けを知らない世の人々に夜明けを知らせてくれてるんだよ。
いうなれば、希望の雄たけびだな。
なるほど、そういうものか。と、それいらい、斜め向かいのチャボの声は私に
とって 希望の雄たけびとならず、やっぱりうるさいなー。と閉口しました。
今なら、父親のそんな詩的な表現を味わうことも出来るかもしれません。そん
なことを思い出したのは、聖書を読んでいたときのこと、イエス・キリストの弟
子ペテロが3回イエス様を知らないというくだりです。
ペテロが3回「自分はイエスなどという人物はしらない、私はイエスとは無関
係だ」と、誓って宣言するのです。その時、鶏が鳴くのです。ペテロがイエス様
を知らないと否定したとき、ペテロは夜明けを迎えました。
このことは、よくよく考えてみますと、そこには思わぬ真理が隠されているよ
うな気がします。ペテロが自分の罪深さを知り、自分の弱さに打ちのめされたと
き、実はペテロにとって本当の夜明けを迎えたことになったのです。
なぜなら、それ以来、彼は自分の力ではなく、イエス様を信じ、イエス様の力を
頼りにした、イエス様と共に生きる、生き方をするようになったからです。
聖書の言葉
「次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼
と共に生きるであろう。」テモテ第二の手紙2章11節です。
もし、今私たちの中で、自分の弱さに打ちのめされているような方がいらした
ら、自分の罪深さに悩んでおられる方がいらしたら、今がチャンスです。イエス
様と共にその手に引かれて歩みはじめるチャンスです。そのとき、私たちは、人
生の夜明けを迎えるのですから。
(by 藤田 昌孝)