再臨待望派

 あなたは、再臨待望派、それとも一日完結派?

 私が小学生の頃、娯楽というものが今のように多様でなく、町にあるのは映画 館と本屋さんくらいでした。

 私は、この本屋さんから毎月月刊の漫画本を買ってもらい楽しみにしていまし た。買ってもらって、最初は、何度も何度も本誌や付録漫画を読んだり、付録の 工作を作ったりしますが、1週間くらい過ぎると、読み残したところもなく、次 の発売日が早く来ないかと待ち望むのです。

 しかし、次の発売日まで3週間もあるのです。あまりにもこの次号発売日を待 望するために、それまでの3週間、他のことが手に着かず無為に過ごしたという 経験がありました。

 数年前の話になるでしょうか。韓国のあるクリスチャンのグループがイエス様 の再臨の日を特定して、持ち物を全て始末し、日々の生活活動も放棄して、その 特定した再臨に供えたという事件がありました。結果は再臨はありませんでした。

 私達クリスチャン同士の話しでも、「終末現象は至るところで起こっている。 イエス様の再臨は、近い」というような話をしますが、この再臨を待ち望むあま り、先の韓国の人たちのように、日々の生活までおろそかにすることは、神様の 御心ではないと思うのです。

 たとえ、私達が生きている内に再臨が無くても、死んで次に目覚めるときは、 再臨の朝になっているのです。そう言う意味では、私達が永い眠りという死の床 につく時が再臨の時かもしれません。

 話は、変わりますが、私の母は、私の姉を産む前に2人の男の子を産んでいま すが、病気で亡くしています。よく死んだ子供のことを悲しそうに話していまし た。この様な母の悲しさ、親の悲しさを見ていますから、母と同じ経験をするの ではないかという強迫観念があります。

 しかし、たとえ主が私から愛する子をお取り上げになっても、後悔しないよう に毎日を子供と十二分に関わり合って、生活したいと思っています。つまり1日 完結型で、次の日、子供がいなくなっても、ああすれば良かった。こうしてあげ てたら良かった。という後悔の思いが無いような生き方をしたいのです。(実際 に子供を亡くすと後悔しないことはないと思いますが)

 ここで最初の質問に戻ります。あなたは、再臨待望派、それとも一日完結派?

 再臨待望派ではない人は、けっして再臨を望まない人と言うことではなく、再 臨待望派とは、再臨を待ち望むあまり日々の生活を無為に過ごす人をここでは意 味しています。

 再臨は以下の聖句のように、その日時がはっきりと示されているわけではあり ません。

あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。第1テサロニケ5:2

 もし主の日(再臨)が明示的にその日時が示されていたとすれば、私のような 弱い人間は、たちまち再臨待望派になって、その日まで無為に日々を過ごしてし まうのではないかと思います。そう言う意味では、示されないことが主の恵みだ と思います。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらう であろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。マタイ6:34
(by 和夫)