奴隷と友人

 以前、海外で数日間あるホテルに滞在していたことがあります。そこでは、お 食事どき、私たち夫婦に一人のボーイさんがついてくれました。ニックネームが 太郎さんというインドの方でした。

 滞在最後の日、私たちはこのお世話になった太郎さんにチップをお渡ししよう としました。すると太郎さんはニコニコしながら、その前に握手を求めてこられ ました。「自分はあなた達を友人として、心をこめてお世話をしてきました」と 言いたかったのかもしれません。私たちは喜んで握手を交わし、素敵な思い出を 作ることができました。

もちろん、用意していたチップはお渡ししました。

 イエス・キリストが僕と友人について次のように話されます。
わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らな いからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを 皆、あなたがたに知らせたからである。

 また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与え て下さるためである。これは新約聖書ヨハネによる福音書15章15節16節の 言葉です。

 私たちは毎日の務めを僕としてではなく、友として働くことができます。ここ で言う僕の働きとは、その働き本来の意味を考えることなく、言われるままに義 務的にやらされている仕事です。主人の顔色を見て、気は使いますが、心はそぞ ろです。そこには、喜びも、仕事に対する誇りもありません。

 しかし、友としての働きは、その働きの本来の目的を理解し、自ら進んでなさ れる仕事です。主人や周りの目を気にするのではなく、友として心をこめて創意 工夫がなされてゆきます。そこには、多少の疲れは残るものの、喜びがあり、そ の働きに誇りを持つことができます。

 イエス様はあなたも、イエス・キリストの友として、神様の望まれることを心 をこめて加わってほしいと願われています。そのとき、必要なものは全て神様が 与えて下さるとおっしゃるのです。
(by 藤田 昌孝)