灯台
ある本に、アメリカ海軍の隊員の報告した、1つの出来事が載っていました。
訓練中の戦艦が、航海を続けていました。日が沈み、暗くなって間もなく、ブ
リッジの見張りが次のような報告をします。「進路方向に光が見えます。」
すると艦長は、「それは停止しているのか、動いているのか?」と聞きす。見
張りの答えは、「停止しています、艦長」つまり、その光が、こちらの進路上に
あり、衝突の危険があるというでした。艦長は、信号手に命じます。
「その船に対し、信号を出せ。衝突の危険があるため、20度進路を変更せよ」
とすると、相手からも、信号が返って来ました。「そちらの方こそ20度進路を
変えるよう、助言する」
艦長は再び命令しました。「信号を送れ。私は艦長だ。20度進路を変えるよ
うに」すると、「こちらは、二等航海士だが、そちらの方こそ20度進路を変え
るように、命令する」
艦長は怒り出しました。そして、叫びます。「信号を送れ。こちらは戦艦だぞ。
20度進路を変えろ」点滅する光の信号が返って来ました。「こちらは灯台であ
る」戦艦は進路を変えました。
聖書の言葉もこの灯台のようなものです。
灯台はそもそも夜の闇の中で、船が安全な航海するために備えられたものです。
聖書の言葉もそうなのです。人が安全な人生を送るために、備えられたのです。
人間は本来、どのように生きるために造られたか?またどのように生きたら互
いに幸せになれかという、人生に関わる原理原則を聖書は教えてくれます。もし、
私たちがこの原則を無視し、それを変えようとするならば、私たち自身が大きな
損失を受けるでしょう。
しかし、もし私たちが神様のゆるしと力を受けて、神様の願いのうちに歩み始
めるならば、私たちの人生には安全と喜びが与えられるに違いありません。
聖書の言葉
あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。 詩篇119:105
(by 藤田 昌孝)