最後に残るもの
ビクトル・フランクルは、ナチスの収容所から生還し、その後、すぐに行った
講義の中で、「最後の最後まで大切だったのは、その人がどんな人間であるかだ
けだったのです。」と語っています。
財産や装飾品はもちろんのこと、地位や名誉、職業、技術、才能さえもが剥ぎ
取られた後、最後に残ったのは、その人に何ができるかではなく、その人がどん
な人間であったかということだけだったそうです。その人がどのような態度でそ
の極限状態を過ごしていたか。その人の存在そのものが、周りにどのような影響
を与えていたかということだけが、最後の最後まで大切なことだったというので
す。
私たちは、現在、幸いにもそのような極限状態に置かれることは無いかもしれ
ません。しかし、日常生活の中で、いろいろな状況のもと、果たして自分はいつ
もどのような態度を取っているか、また、自分の存在が周りに対して、どのよう
な影響を与えているのかを時には考えてみる必要があるのではないかと思います。
径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照らす、此れすなわち国宝なり という言
葉がありますが、これは、直径が一寸もある宝玉が10個あっても、それが本当
の国宝なのではない。たとえ世の中の片隅であっても、そこで最善を尽くす人こ
そ本当の国宝なのである、という意味です。
たとえ、本意にそぐわない状況の中にあっても、自暴自棄になるのではなく、
その中で最善を尽くし、自分の信じる原理原則をまっとうしようとするならば、
その人の存在はその周囲に大きな影響を与えるに違いありません。
イエス・キリストを信じる者はそのために力を得る、と約束されています。
聖書の言葉
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。
そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実
がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求め
るものはなんでも、父が与えて下さるためである。
ヨハネによる福音書15:16の言葉です。
(by 藤田 昌孝)