見ざる 聞かざる 言わざる
日光の東照宮に見ざる 聞かざる 言わざるという三猿の彫り物があるのを皆
さんは良くご存知だと思います。
この三猿は、外界との交渉を慎むという意味の言葉だそうですが、これを用い
て人間関係に当てはめて説明されることがあります。「結局、この中でうまくやっ
ていくためには、見ざる、聞かざる、言わざるよ。」
やなことは見なかったことにする。都合の悪いことは聞かなかったことにする。
注意や、批判的なことは言わないようにする。失望もしなければ、期待もしない、
人とのかかわりはほどほどに、といった意味でおっしゃっているのかもしれませ
んが、どことなく、寂しい響きのする言葉です。
ところが、聖書の中には次のような言葉があります。
「その時、見えない人の目は開かれ、聞えない人の耳は聞えるようになる。その
時、足の不自由な人は、しかのように飛び走り、口のきけない人の舌は喜び歌う。
それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。
これは、旧約聖書、イザヤ書35章の5節・6節の言葉です。
ここでは、目が開かれ、耳が聞こえるようになり、口の聞けない人の舌は喜び
歌うとあります。
イエス様とともに生きる者は、目が開かれます。今まで気づかなかったあの人
の良さを見つける目。今まで見つけることのできなかった神様の御業を、私の人
生の中に、生活の中に発見する目、確かな人生の目標を見据える目が開かれるの
です。
また、耳が開かれます。友の悲しみや苦しみを理解しようとする耳、神様の言
葉を聖書の中から聞き取る、耳が開かれます。
口が開かれます。人を励ます言葉、人に命を与えるような、優しい言葉を表す
舌が与えられます。不平不満の多かったそのくちびるから、讃美と喜びが溢れて
くるのです。
なぜなら、イエス様と歩み始めますと、その人の乾いて砂漠のような心に、命
の泉が湧き出てくるからです。
(by 藤田 昌孝)