変わらないもの

 私には、二人の娘がおりますが、その長女が、ようやくつかまり立ちができる ようになった頃です。家族は東京に住んでおり、住宅事情から、住んでいる家の 部屋は狭く、食事時になりますと、小さなお膳を出して食卓を囲みます。家族3 人分のおかずや飲み物全部はそこに乗りません。食べる順にその上に乗せるとい うような、そんな小さなお膳でした。

 あるとき、つかまり立ちができるようになった長女が、お膳に置いてある茶碗 に彼女の全体重をかけてつかまり、立ちあがろうとしていました。それを見た私 と家内が危ない、と思った瞬間、茶碗はスーとお膳の上をすべり、その端から飛 び出しました。それにつかまっていた長女はお茶碗と一緒に、ステーンとたおれ てしまいました。幸い大事には至りませんでしたが、人は頼りにならないものを 頼りにすると、とんでもないことになるものです。

 私は牧師になる前には小学校の教員をしておりましたが、子どもの教育に関心 を持ち始めて、20年以上立とうとしています。その間、たくさんの教育論、子 育て論、教育方針が生まれて来ました。そしてあるものは消えてゆきました。

 人が考え出したものは常に変化します。移りゆくのです。もちろん、それを進 歩と呼ぶこともできるでしょう。しかし、そのような時とともに変わってゆく教 育論に、頼りすぎることにはイチマツの不安を覚えるのは、私だけでしょうか。

 私たちが、後に続く子ども達に、確かな人生の指針を、いつの時代も変わるこ とのない価値ある人生の目標を示すことができたら、どんなにか素晴らしいでしょ う。

聖書の言葉
「人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、/花は 散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝え られた御言葉である。ペテロ第一の手紙1章の24節・25節です。
(by 藤田 昌孝)