仕えるため
私が北海道の札幌で小学校の教師をしていた頃、夏休みを終え、神奈川の実家
から札幌へ向かう飛行機の中での出来事です。無事離陸を終え、機内の雑誌に目
をやりながら、うとうとし始めたときです。突然、「うー」といううめき声で目
がさめました。近くの席に座っておられたご夫人が「苦しいー」と胸をかきむしっ
ています。どうやら心臓の発作のようです。スチュワーデスさんが的確に連絡を
取っていました。すぐに機内放送が流れました。
「皆様の中で医師の資格のある方はいらっしゃいませんか?」という放送でし
た。するとどこからか、お医者様らしい方がおいでになりました。また、その後
で看護婦さんと思われる方も来てくださり、発作を起こしているご夫人のお世話
をされていました。発作はほどなくしておさまり、飛行機が札幌空港に着くや否
や、用意されていた救急車にご夫人は運ばれてゆかれました。
そのとき、お医者様が来られるまで、誰もが「自分に医師の資格と能力があれ
ばなー」と思ったにちがいありません。私もその中の一人として、「もし、自分
に能力と技術があれば、目の前の人を助けることができるのに」と強く思いまし
た。
人は何のために勉強をし、能力を磨き、技術を身につけ、資格をとってゆくの
でしょうか?それは、互いに助け合うため、仕え合うために他なりません。
聖書の言葉
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、
人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人
のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
マタイによる福音書20章27、28の言葉です。
イエス様は新しい価値観、しかし人間としての本来的な価値観を示されたので
す。それは使えられることを喜びとする人生観ではなく、使えることを喜びとす
る人生観だったのです。
(by 藤田 昌孝)