人をさばくな

 イエス様はおっしゃいました。
「人を裁くな。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の 中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせ てください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。

 イエス様は人間同士が互いにさばきあうことを拒まれました。

 そして人が他人をさばくことのできない理由を述べられます。それは、人は他 人を裁くことができるほど、清い人はいないということです。

 我が家には小学校3年と幼稚園年長の娘がいますが、時々、片方の娘が、親に 注意されると、もう片方の娘が親と一緒になって、「いけないんだよー」と注意 することがあります。

 それを聞いた私は、「子供同士、親と一緒になって相手を注意するもんじゃな い。注意されて、悲しそうにしていたら、励ましてあげるものだ」と言います。

 親としては、兄弟が互いの欠点や弱さを見つけて譴責しあっているのを見るの は耐えられません。互いの弱さを補い、助け合い、励ましあってほしいものだと 思うのです。兄弟が互いに仲良く、助け合っている姿を、親はなによりも望んで いるのではないでしょうか。

 神様のお心も同じようだと思うのです。神様の願いは私たちが互いの重荷を負 い合い、助け合い、ゆるしあって生きることなのです。

 しかし人は相手のためにではなく、裁くために裁くことがあります。もしくは、 正義にかこつけて不満や怒りを発散する裁きもあります。

 いずれにしても、そこには、不謹慎な喜びか、不満や憤り、個人的怒りがこめ られている場合が多いのです。

 しかし、イエス様が裁かれる場合はいつもその譴責には、同情と悲しみ、痛み が伴っていました。譴責するイエス様の目には涙が伴っていたにちがいありませ ん。

 イエス様の願い、神様の親心を知るとき、安易な裁きは留められます。
聖書の言葉
 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。
 ヨハネによる福音書15章17節の言葉です。
(by 藤田 昌孝)